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ときのこえ
2023.11.01(水)

ときのこえ2023年10月号

安心して行きなさい

 友安 渚


 新約聖書のルカによる福音書7章36~50節に、このような出来事が記されています。

 ある日、ファリサイ派のシモンという人の家で食事会が開かれ、イエス様がそこに招かれていました。「ファリサイ派」の人たちは、自分たちは律法を忠実に守り、神の前に正しい者であると誇り、律法を守ることができない人たちのことを見下していました。

 その食事の席に、「罪深い女」と呼ばれている女性が入って来ました。何の罪かはわかりませんが、そのように呼ばれていたということは、町中の人から白い目で見られ、誰からも相手にされず、孤独を感じていたことでしょう。その女性は、イエス様の足もとにひざまずくと、涙を流し、その涙にぬれた足を、自分の髪の毛でぬぐいました。そして、その足に接吻し、そこに自ら持ち込んだ石膏の壺から香油を注いだのでした。

 そこにいた人々は、何事かと驚いたことでしょう。シモンは、イエス様が彼女の行動をそのままにさせていることが理解できず、何も言わないイエス様は預言者とはいえないと思いました。律法によると、罪人と一緒にいること、触れることは禁じられていたからです。

 すると、イエス様はシモンの思いを見抜いて、たとえ話をされました。

「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」(41、42節)

 一デナリオンは、当時の一日の賃金に相当します。シモンは「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えました。これはもちろん正解で、多くの負債を帳消しにしてもらったら、感謝もより大きいというのは、誰もが納得することでしょう。

 このたとえ話に登場する五百デナリオンを借りた人は先ほどの香油を注いだ女性を、五十デナリオンを借りた人はシモンを表しています。債務の額の違いは、彼らの実際の罪の大きさではなく、彼らがどれだけ自分の罪を自覚しているかを表しています。これが、イエス様がこのたとえ話でお伝えになりたかったことです。

 イエス様は、女性に、「あなたの罪は赦された」(48節)と言われました。彼女はこの出来事の前に、別の場所でイエス様が語っておられるのを聞いたのでしょう。彼女は、自分の罪を深く自覚しつつ、イエス・キリストを救い主として信じたゆえに、その罪を責められることなく赦していただいた、その感謝と喜びから、イエス様の足もとにひざまずいたのでした。イエス様も、その思いにしっかり呼応してくださり、「あなたの信仰があなたを救った」(50節)と宣言されたのです。

 誰かと比較して、「私はまだ大丈夫」とか、「あの人のほうが罪深い」とかいうことではなく、自分自身の罪と向き合う時、それを無条件に赦してくださるお方が、イエス様です。

 イエス様は最後に、「安心して行きなさい」とこの女性に言われました。「安心して行きなさい」とは、「平安へと行きなさい」という意味です。今この時だけでなく、これから先も平安であるとの約束は、なんと心強いことでしょう。

 イエス様は、いつでも、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と招いておられます。そして、平安を約束し送り出してくださるのです。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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