お知らせ

NEWS
動画
2025.04.14(月)

イースターのメッセージ

ゲツセマネの園から空の墓へ

 救世軍万国総督 リンドン・バッキンガム大将

※2025年のイースター(復活祭)は4月20日()です。

※「字幕」のボタンを押すと日本語訳のキャプションが表示されます。

 
 ゲツセマネの園から始まり、空の墓へと至るイースターは、人類史における最も深遠な瞬間です。それは、イエス・キリストの死と復活によって、神の贖いの計画が完全に成就したことを示しています。受難節の黙想を通して、わたしたちは死を克服した神の愛を目の当たりにします。そして、人類の想像を超えた最大の贈り物であるイエスの復活を通して、永遠の救いが与えられる瞬間を目撃するのです。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

 だれもが知るこの聖句は、神の愛が受難週に示した犠牲の重みを理解する時、新たな意味を帯びます。

 イースターへの道は、裏切りの影から始まります。ゲツセマネの園で、イエスは「わたしは死ぬばかりに悲しい」(マルコ14:34)と言って、魂の葛藤に苦しみながらも、父なる神の御心に完全に従われました。キリストは、ご自分を待ち受ける苦しみを知りつつも、祈りを通して、父なる神に対する揺るぎない従順を示されました。「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14:36)この完全な明け渡しは、真の信仰とは最も暗い時に、神の計画を信頼することである、とわたしたちに教えています。

 その後の一連の出来事、すなわち、裁判、残酷な鞭打ち、ゴルゴタへの道のりは、人間の罪深さと神の愛の高さを対比しています。イザヤが何世紀も前に預言したように、「彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ53:5)のです。一つ一つの鞭打ち、一本一本の茨のとげ、一本一本の釘が、わたしたちのために支払われた贖いの代価を示しています。

 カルバリで、わたしたちは罪の恐ろしさと、驚くべき神の恵みの両方を目にします。十字架は、神の愛の犠牲の究極のしるしであり、罪のない神の子が、全人類の罪の重荷を担ったことを示しています。
 「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(コリント二 5:21)

 イエスが「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)と宣言したとき、すべての預言が成就され、神の正義は充足され、神と人との隔たりは埋められました。

 しかし、十字架で物語は終わりません。もしキリストの死が最後であったら、わたしたちの信仰は無駄だったでしょう。パウロが書くように、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(コリント一 15:14)

 復活はすべてを変えました。日曜の朝早く、マグダラのマリアと他の女性たちが墓に赴いた時、彼女たちは人類史における最大の奇跡を目撃しました。墓の石は除かれ、死は打ち破られたのです。

 天使の宣言は、時代を超えて響き渡ります。「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」(マタイ28:6)この言葉は、人類史の流れを変え、今なお人々の生を変えています。復活は、イエスが何者であるか、そして、イエスの使命が何であるかについて、イエス自身が語った言葉をすべて裏付けています。復活は、イエスが死に打ち勝つ力をもった神の子であることを確証するのです。ローマの信徒への手紙1章4節が宣言しているように、「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。」

 復活の意味は、深遠であると同時に、個人的でもあります。キリストが生きるので、わたしたちも生きるのです。イエスの勝利は、わたしたちの勝利です。イエスの命は、わたしたちの命です。「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(コリント一 15:20)

 復活は、死が力を失い、墓が破られたことの証しです。「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」(ヨハネ14:19)と約束された生ける救い主に、わたしたちは仕えているのです。

 イースターの朝は、新しい創造をもたらしました。イエスを死者の中から復活させた力は、今日も信じる者の人生を変えます。パウロが言うように、「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリント二 5:17)

 復活は、単なる過去の出来事の追憶ではありません。信じる者すべてに希望、目的、新しい人生を提供する、現実の力として、いま働いているのです。

 イースターの勝利は、個人的な救いを超え、宇宙的な意義をももちます。キリストの復活は、神が万物を更新するという、全被造物の回復の始まりなのです。空の墓は、罪、死、サタンが打ち負かされ、敵が敗北したことを宣言します。わたしたちはこの時代において、まだなお悪と戦っています。しかし、戦いの勝利は決定しました。パウロは、このように勝利を宣言しています。「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」(コリント一 15:57)

 復活はまた、信じる者に奉仕の力を与えます。キリストを死者の中から復活させた神の霊が、信じる者の中に宿り、勝利に満ちた生活を送らせ、実りある奉仕を可能にさせます。パウロが祈ったように、「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ」られました。(エフェソ1:19-20)

 生けるキリストは、希望を切実に必要とする世界において、この良い知らせを分かち合うことを、わたしたちに命じます。墓にいた女性たちは、最初の福音宣教の使命を与えられました。「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。』」(マタイ28:7)

 この使命は今日、信じるすべての者に与えられます。わたしたちは、イエスの復活の証人であり、イースターのメッセージを地の果てまで伝えるよう召されているのです。

 このイースターに、死に打ち勝ち、永遠の救いをわたしたちに与えてくださった復活の主イエスを喜びましょう。日々の生活の中で、イエスの復活の力を受け取りましょう。イエスの勝利によって、わたしたちの敗北は勝利に変えられたと認めましょう。受け入れるのです。そして、いにしえのクリスチャンたちが空の墓を祝う時に交わした挨拶を、わたしたちも唱えましょう。

キリストは復活された! ほんとうに復活された!

 イースターの美は、過去の追憶だけではなく、今も人生を変える力をもち続けていることにあります。イエスが生きているから、わたしたちは明日に希望をもちます。だれもイエスの愛からわたしたちを引き離すことはできません。パウロが宣言したように、「これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」(ローマ8:37)

 今年のイースターが、復活の救い主への新たな喜び、主の犠牲への深い感謝、主に奉仕する新たな決意によって、わたしたちの心を満たしますように。墓は空です。死は打ち破られました。キリストは勝利の王として、御座におられます。これがイースターの栄光です。過去の出来事だけでなく、復活の主を信じる者すべてに希望、目的、永遠の命を与える、現在の現実なのです。「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。」(ヘブライ 13:20-21)

あなたの支援で
救える人々がいます

あなたの小さな心遣いで貧困や病気に苦しんでいる人、教育を受けられない子どもたち、災害の被災者などを助けることができます。あなたの想いを彼らに届けることができます。ご支援という形で寄付に参加してみませんか。

寄付をしてみる