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わたしたちは、もうずっと前に戦争を止めました。それは、戦争によって日本人が滅びる寸前まで行ったからです。あまりにたくさんの人が死に、あまりにたくさんの町が灰となりました。終戦の詔勅に、
「このまま戦争を継続するならば、わが民族の滅亡を招くばかりでなく、ひいては人類の文明をも破滅させてしまう」
と言われたとおりのことが、本当にあったのです。
その戦争を止めて久しいわたしたちですが、なぜ今、新島(旧姓山本)八重が注目されるのでしょう? 戊辰戦争の中でも悲惨な結末を迎えたことで知られる若松城籠城戦。銃弾が飛びかい、爆炎が立ち上る中、7連発のスペンサー銃を持って戦う女性の姿が、魅力的に見えるからでしょうか?
「女丈夫(じょじょうふ)」という言葉で、八重の魅力を表現した人がいます。日本人として最初に日本の救世軍の司令官(最高指導者)となった山室軍平です。女丈夫は、現代風に言えば「勇敢に戦う女性」でしょう。
八重と山室軍平の出会いは同志社です。同志社の創立者で八重の夫の新島襄を、山室は深く慕っていました。17歳で山室は同志社に入学。残念ながら、翌年、新島襄は死去しますが、同志社教会の伝道所を任された山室は、八重と一緒に日曜学校で子どもたちにイエス・キリストの福音を伝えました。
1932年3月、60歳の山室は86歳の八重を病床に見舞い、その6月、山室は八重の葬儀の説教を務めています。
勇敢に戦う女性。でも八重は、ずっと銃で戦い続けた人ではないのです。軍事的には彼女の「くに」は負けました。会津の籠城戦に敗れた彼女は「くに」を去らねばなりませんでした。23歳の時です。
この場合、「くに」というのは会津藩のことです。「くに」は、自分の生活・自分のアイデンティティーが根差している、人々の集まりです。昔は、それが今より狭い範囲で体感されていました。「くに」と「くに」がせめぎ合う中で「くに」を超えたもっと大きな、日本人全体の未来にかかわる「国」をつくらなければならない。だが、どういう「国」をデザインするのか?
それを巡って意見が衝突し、争いが起こり、「くに」と「くに」が戦争しました。それが145年前の戊辰戦争です。日本人同士の戦争の中から、今日わたしたちが知る「国」が生まれたのです。その背後に、負けた八重がいました。
勇敢に戦う女性が、涙をこらえて銃を置く時、自分の生きる道を、どう開いていけばいいのでしょう?
八重は、銃を置きましたが、それでも、勇敢に戦う女性であり続けたのです。ここから、方法や形式ではない、人間の本質のこと、に触れていきます。
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