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皆さんには、「生きる喜び・希望」がありますか。
様々な価値観があり、将来に明るい見通しがもてないこの時代、「生きる喜び・希望」などという言葉は、現実味を帯びないものかもしれません。でも、私は四十年以上、この「生きる喜び・希望」をいただいて、日々、平安に過ごしています。
私は二十五歳になるまで、十五個所の転居を繰り返していました。第二次世界大戦時の疎開や、父の転勤等、様々な理由がありましたが、青年期になった私は、生きる喜び・希望を見いだせず、深く傷ついていました。
やがて、救世軍の小隊(教会にあたる)に通い、日曜日ごとに聖別会と呼ぶ礼拝を守るようになりました。日常生活で聖書を読むことが習慣になりました。すると、私が、「自分が、自分が」という「病」に侵されていることが示されたのです。「自分が第一。自分が良ければ、自分が楽しければ……」ということから解放されない限り、真の生きる喜び・希望は見つけられないということに気づかされました。
ある日曜日、礼拝の終わりに、救世軍で祈りを献ささげる場所として大切にしている「恵の座」という所で、お祈りを導いていただき、イエス・キリストを私の救い主として信じました。神を第一にせず、「自分が、自分が」と生きてきた私の罪を、神の独り子イエス様が身代わりに負い、その罰を受けて解決してくださった、ということを信じたのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)
神が独り子のイエスを犠牲にするほど私を愛してくださっている、ということに、心から感謝しました。
翌朝から、考えられないほどの気力が与えられました。自己中心的な自分から解放され、心がいやされ、回復され、生きる喜びが与えられたのです。そして時が経つほどに、この神に喜ばれる人生を送りたい、と切に願うようになりました。
それ以来四十三年、私は、北海道から九州に至るまで、救世軍士官(伝道者)としての働きに携わってきました。
その間、宗教教誨師として、刑務所、少年院、拘置所、婦人矯正施設で奉仕をする機会が与えられました。拘置所では、聖書のメッセージをひと言も聞き漏らすまいとする人たちの真摯な姿に、感動を覚えました。孤独で苦境を訴える方々に、本当の幸せを与えてくださる方を宣の べ伝えることは、大きな喜びでした。また、一年を通して、近隣の病院や施設、街頭生活者の方々の必要に応こたえる働きを続け、阪神淡路大震災やその他の災害被災地に駆けつけ、支援活動に従事しました。
「心は神に 手は人に」をモットーに、様々な困難を覚えている方の手助けをしながら、神の愛を伝える救世軍の働きの一端を担うことができ、心から感謝しています。
一回限りの人生です。「自分が、自分が」という病から解放され、自分を超える絶対者である神に喜ばれる生き方を探してみてはいかがでしょうか。そうすれば、必ず「生きる喜び・希望」を見いだすことができます。
一人でも多くの方が、私と同じように、「生きる喜び・希望」をもつことができるよう、祈ります。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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