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「神がいるなら見せてくれ。」
よく言われます。でも、見えないんですよね。
「どうして?」
神様は永遠で無限なので、見えないんです。
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ちょっと考えてみましょう。私たちが見ることができる一番大きいものは何ですか?
スカイツリー?
富士山?
アンドロメダ星雲?
望遠鏡をのぞけば百億光年のかなたを見ることができるでしょう。それが一番大きいもの?
でも、神様は百億光年よりずっと大きいのです。私たちの目には収まらないですよ。ね?
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「いや。そもそも永遠とか無限なんて、ないんだ!」そうおっしゃいますか?
もし、永遠も無限もないのだとして――じゃあ、どうして、私たち人間の心に永遠とか無限への「あこがれ」が生じたんでしょう?
〈いつかどこかへ帰りたい。どこかでだれかと会いたい。〉
そういう「あこがれ」って、私たち人間の生の営みの根底に流れてますよね? 「あこがれ」に動かされて、いつかどこかへ、どこかでだれかに、と進んでいるのが、私たち人間ではないでしょうか?
聖書が伝える福音は、簡単に言えば、「あこがれ」が私たちのところへ“かたち”をとって来た、と言うことができるでしょう。
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ちょっと信じがたいことですが、永遠で無限の神様が、ベツレヘムの家畜小屋の飼い葉おけのわらの上に、小さな赤ちゃんとなって来てくださった――それがクリスマスの奇跡なんです。それがイエス様なんです。
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イエス様は、世間でいじめられ、馬鹿にされ、つらい思いをしている人のそばに来て、よりそい、友だちになりました。
「『自分は完ぺきだ』と思っている人間が天国に入るのではありません。『こんな私は地獄に落ちて当然』と思っている罪人が心底悔い改めた時こそ、すっかり赦されて天国に入るのです。」
そうイエス様はおっしゃいました。
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本来、見えないはずの神様の恵み深さ・優しさ・憐あわれみ・美しさを、イエス様は見えるかたちにしてくださいました。その究極が十字架と復活です。イエス様は、私たちが受けるべき罪の罰を身代わりになって受けて十字架にかかって死なれ、三日目に死を打ち破って復活なさいました。
このことを信じ、イエス様を受け入れる時、私たちが目にする世界は、恵み深さ・優しさ・憐み・美しさに色どられた新しい世界になって見えるのです。
あなたも、イエス様の目で世界を見たい、イエス様を信じて生きたい、と思いませんか?
そう思われたら、ぜひ救世軍へ手紙を書くか、お訪ねください。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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