2024年の予定
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八月になりました。毎年この時季になると、平和ということを普段より一層心に留め、考えるのではないでしょうか。
戦争や欠乏のない世界、涙することや不安、恐れのない世界、希望に満ち、喜びと感謝の溢あふれる平和な世界を願わずにいられません。生まれた国や環境が違っていても、世界中の誰もが、一人の人間として与えられた命を精一杯に生き、一日一日を大切に送りたいと思うのではないでしょうか。
しかし、そう願いつつも、様々な事件が起き、人を惑わす言動や、まやかしの情報が氾濫しています。現代は、自分もその渦の中に巻き込まれていくかもしれない、という不安が忍び寄る恐ろしい時代と言えます。
聖書によれば、神によって創造され、神と共にそのご計画の中に平和に生きるはずであった人間は、神から与えられた戒めに背き、自らの欲望に従った結果、神の御み 前まえから追放されてしまいました。
イエス・キリストが十字架に架けられて死なれたのは、わたしたち人間が、神に背いたことを悔い、神の御許に帰ることのできる道を備えるためでした。
人間は、どんなに科学が進歩発展し、物質的豊かさを誇るようになったとしても、神の創造の御心にそぐわない自己本位の生き方をしている限り、神の備えてくださっている平和を味わうことはできないでしょう。
ある人が展覧会に行きました。たくさんの美しい絵が、静かな会場に飾られた中、「平和」と題した絵が、壁面いっぱいに掛けられてあるのを見ました。
そこには、荒々しい岩棚を引き裂くように、轟々と流れ落ちる滝が描かれていました。まるで水の音が聞こえるようでした。飛び散るしぶき、渦巻く滝たきつぼ壺の様、木々の揺れ動く様子。激しい空気の流れ、どう見てもそれは、「平和」とは言えない情景でした。
しかし、よくその絵を見ると、流れ落ちる滝の脇にわずかばかりの岩棚があり、そこから伸びた枝に見え隠れするように、巣をかけたつがいの鳥が楽しげにさえずっている様子が描かれていました。これを見逃さなかった人は、この絵の題を納得することができたそうです。小さな鳥たちのさえずる様子に、周囲の状況の厳しさ、激しさの中でこそ際立つ、「平和」を感じたからです。
イエス・キリストは、死んで墓に葬られ、三日目によみがえって、弟子たちの前に姿を現しました。恐れに満たされていた弟子たちに、イエスは、
「あなたがたに平和があるように」(ヨハネによる福音書20章19節)
と言われました。使徒パウロは、
「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」(コロサイの信徒への手紙1章19、20節)
と言っています。イエス・キリストを救い主と信じ、創造主の御許にいる時、私たちの心は、真の「平和」を得ることができるのです。あなたの唇がこの「平和」のさえずりを響かせてくださるように、と願うものです。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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