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夜空に輝く星々。それは、なんと心ときめく美しさでしょう。北海道に浦幌町という町があります。酪農が営まれる自然豊かな町です。かつて、釧路市に在住していたある時、夜半に車で浦幌町郊外を通りかかりました。「あっ、星がきれい!」そう言う同乗者の声が耳に入り、車を止め、空を眺めました。本当に美しい夜空でした。頭上には、あたかも星が降るような、と形容しても過言でない情景が広がっていました。星は私たちの心を高く引き上げる不思議な存在です。
今から約二千年前、イエス・キリストがユダヤの国にお生まれになった時にも不思議に輝く星が現れた、と聖書は記しています。一説では、木星と土星が接近して強烈な光を放ったためであると言われています。
この不思議に輝く星に導かれて旅を始めた人たちがいました。ユダヤの国の東方に位置する国からやってきた占星術の学者たちです。彼らは、天文学に通じ、その輝く星にユダヤ人の新しい王の誕生のしるしを見、はるばると旅をしてきたのです。
人生は、しばしば、旅にたとえられます。徳川家康が「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如しと言ったことは有名です。もし、その旅の途上で、〝まことに依り頼むべき方〟に出会うことができれば、その荷は軽くなり、人生の旅を、新たな思いをもち、健やかな足取りで歩くことができるでしょう。
占星術の学者たちも、旅路の果てに、人生の希望の星であるイエス・キリストを発見したのでした。
「……東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」(マタイによる福音書2章9、10節)
「ついに……」という言葉に、長い旅路を経て、ユダヤの王、救い主なるイエス様のもとに導かれた喜びが表現されています。人生は出会いの繰り返しであり、どのような出会いを経験するかに、人の幸福はかかっています。
イエス様に出会い、その人生が大きく変えられた人人の中に、ザアカイがいました。彼は、交通の要所として栄えていたエリコの町の徴税人の頭で、金持ちでした。当時、ユダヤの国はローマ帝国の支配下にあり、その権威の下で働く徴税人は、祖国を裏切る罪人として、扱われていました。更に、彼は不正な取立てまでしていたので、多くの人々から嫌われ、豊かでありながら、虚しい生活を送っていました。しかし、イエス様は、愛のまなざしをもって、ザアカイを見つめられました。そして、ザアカイの名前を呼んで、ご自身が彼と共に生きる救い主であることを明らかにされたのです。
イエス様の圧倒的な愛に触れ、ザアカイは、それまでの自分の強欲、不正な取立てをしていた罪を、悔い改めました。すると、イエス様はこう言われました。
「今日、救いがこの家を訪れた。……人の子(イエス・キリスト)は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカによる福音書19章9、10節)
ザアカイは、まさに、
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)
と人々を招かれたイエス様の優しさに触れ、人生の旅を新たな思いで歩み出すことができたのです。
クリスマス―それは、愛なるイエス・キリストと出会い、新しい命を得る日です。イエス様と出会った占星術の学者たちは、来た道ではなく、別の道を通って自分たちの国に帰って行ったと伝えられています。その道には、彼らを導いた明るい星は、もはや輝いてはいなかったでしょう。しかし、彼らの心には、いかなる星にも勝る希望の星であるイエス・キリストが輝いていたに違いないのです。
イエス様は、十字架の死より復活し、天に帰られました。その後、イエス様の弟子たちの伝道によって、多くの人々がイエス様を救い主と信じました。彼らを励ました言葉が、聖書に記されています。
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(ペトロの手紙一1章8、9節)
あなたにとって、今年のクリスマスが「言葉では言い尽くせないすばらしい喜び」の日となるよう、心から祈ります。
(救世軍士官〔伝道者〕司令官)
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