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この夏、幼い頃を過ごした実家が解体されることになりました。思い出の品々が次々なくなっていくことは、私たち兄弟にとって、大変寂しいものでした。しかし、たとえ目に見える家がなくなったとしても、愛されて育った記憶は決してなくなることはない、そう思えました。
私が勤めている「救世軍新光館」は、男子緊急一時宿泊施設です。その歴史は古く、明治二十九年、旧小石川区音羽に建てられた釈放者保護施設にさかのぼります。そして明治四十一年、旧牛込区赤城下の現在地に「労作館」という施設名で開設されました。まだ、国の福祉政策が始まる前の宿泊サービスでした。
この働きは、キリストの愛の心を宿泊提供という方法で表したものでした。先日、労作館時代から現在の新光館までをよく知っている方に会う機会があり、現在の建物に建て替えた工事の話を聞きました。前施設を解体した時、床下には、昭和六年当時の土台があったそうです。そこに、福祉事業の「愛の歴史・愛の痕跡」が残されていたと言えるのではないでしょうか。しかし、たとえ目に見える証拠がなかったとしても、人の心に強く刻まれた愛の記憶は決して消えることはない、と私は思うのです。
イエス・キリストの弟子たちにも、「愛の記憶」によって生きる希望が与えられました。その一人にトマスがいます。彼は、十字架の死からイエス様がよみがえられた、ということを周囲の人から聞いても、信じることができませんでした。その彼に、復活されたイエス様が現れ、言われました。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネによる福音書20章27節)
イエス様が十字架に釘打たれた傷跡を目の当たりにした瞬間、トマスの心に、イエス様との「愛の記憶」が呼び覚まされたのではないでしょうか。そして、この時以来、彼の心に刻まれた「愛の記憶」は、生涯消えることなく、彼の人生に希望を与え続けたのです。
今から十四年前、新光館を利用された男性がいました。十五歳で家出をし、五十年間「人には言えねえ」人生を歩んできた人でした。しかし、新光館で聖書の言葉を初めて聞き、救世軍の小隊(教会にあたる)に導かれました。そして、礼拝での祈りの中で、キリストと出会う経験をされました。
「俺の罪を赦すためにイエス様が架かってくださった十字架が心に刻まれた」と、自分を救ってくださったイエス様の愛を周りの人に喜んで証ししていました。暗やみの人生から、希望の光を見いだす人生へと変えられたのでした。
彼に起こった人生の変化は、イエス様の愛を届ける場所としての新光館の「愛の歴史」に新たに刻まれたのでした。
神様から与えられた「愛の記憶」は人の心に刻まれて、決して消え去ることはありません。救世軍の小隊や病院、施設で、あなたが「神様の愛」と出合い、その「愛の記憶」によって、人生に希望の光を見いだすことができますよう、お祈りいたします。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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