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日本の救世軍の最初の士官であり日本の社会福祉の先駆者である山室軍平は、その母登毛について次のように回想しています。
軍平の母、登毛は、貧しい農家の八番目の末っ子として生まれた軍平の行く先を案じ、「『神さま、どうかこの赤ん坊が無事で成人いたしますよう。また成人の後は、あまり人さまにご迷惑をかけないで、いくらか良い事をするものになりますよう。この願いの真実なるしるしに、わたくしは今から一生涯卵をいただきません』」と足かけ三十年間、ついに一個の卵も食べることがありませんでした。やがて、「わたくしのために真実至誠の祈りをこめつつ、世を去った」(山室軍平著『私の青年時代』〔救世軍出版供給部〕より)のでした。
母の愛、それは、子どものためなら、命が短くなってもかまわない、子のために自分の命も犠牲にする、というものではないでしょうか。登毛の姿に、そんな深い母の愛を感じます。
私の夫は子ども時代わんぱくで、よく近所で問題を起こし、母はいつも一緒に頭を下げに行きました。戦前、戦中、職業軍人であった父はとても厳格で、そんな息子に決まって「出ていけ!」と、家から出しました。彼が近くのお寺の境内や川原でしょんぼりしていると、夕方には必ず母が「晴久、晴久」と探しに来たということです。母は九十三歳になる今も健在で一人暮らしをしています。そして、今でも離れて暮らす息子のために、季節ごとの野菜や果物、お茶、米やお菓子など送り、息子が夏休みに帰省すると、必ず帰り際に小遣いを持たせます。いくつになっても子を思う母の愛です。
また、私と夫は、救世軍の児童養護施設で、毎月子ども集会(聖書のお話や、紙芝居、ゲームなど)をしています。いろいろな事情のため施設で暮らしている子どもたちですが、一年もすると驚くほどに背丈が伸び、笑顔を見せてくれるようになります。そんな時、母親代わりの職員に愛されて成長しているな、と胸を撫で下ろします。
私は約八年前、三男を自死で亡くしました。二十七歳でした。うつ病と診断されて以来、毎日大量の薬を飲んでいました。しかし、少しずつ良くなり先が見えてきたように思った矢先、彼は逝ってしまいました。母親としてもっとできることがあったのではないかと自分を責めました。今は、できることはした、と思えるのですが、その時は、無力感と、脱力感に襲われ、どうしようもありませんでした。
やがて、多くの方々の祈りや、聖書の言葉に励まされ、慰めをいただき、立ち上がることができました。
「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」(マタイによる福音書10 章29、30節)
「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23編4節)
母の愛と神様の愛は似ていますが、大きな違いがあります。それは、人間の愛には限界がありますが、神様の愛には限界がない、ということです。イエス・キリストは、あらゆる人の苦しみ悩み、罪を背負って、わたしたちの身代わりとなって十字架に架かってくださいました。神様は、その死によって、私たちのすべての罪を赦してくださいました。そして、
「…とこしえの愛をもってあなたを愛し 変わることなく慈しみを注ぐ」(エレミヤ書31章3節)
「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。……主に望みをおき尋ね求める魂に 主は幸いをお与えになる」(哀歌3章22〜25節)
お方です。限界のない愛をもって私たちを愛し続けてくださるのです。
五月は母を思う季節ですが、母の愛より深く、高く、絶えない、尽きない、神様の愛を信じ受け入れ、その人生を歩むことができますようお祈りいたします。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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