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一羽の雀よりも
石川 芳子
聖書箇所 マタイによる福音書10章29-31節
救世軍歌集 14番 神様の愛は広く深い
「2羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その1羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(マタイ10・29~31)
この聖書箇所を読むとき、私は「一羽のすずめに」という歌を思い浮かべます。
心くじけて 思い悩み
などて寂しく 空を仰ぐ
主イエスこそ わが真の友
(折り返し)
一羽のすずめに 目を注ぎ給う
主はわれさえも 支え給うなり
声高らかに われは歌わん
一羽のすずめさえ 主は守り給う
(『インマヌエル讃美歌500番』)
この曲はもともと有名でしたが、それに輪をかけて有名にしたのがレーナ・マリアさんでした。レーナ・マリアさんは、スウェーデン生まれで、生まれつき両腕がなく、左足も右足の半分ぐらいしかないという重度の障がい者として生まれました。けれど、ご両親の愛情をいっぱい受けて育ち、水泳の選手として活躍後、ゴスペルシンガーとなり、世界中で知られるようになりました。
日本にもたびたび来日されています。特に1998年の長野パラリンピックで来日され、この「一羽のすずめに」を賛美し、それを見て聞いた多くの人が感動して、レーナ・マリアさんとこの歌が一躍有名になったのでした。彼女はこの歌が好きで、行った先々の国でその国の言葉で賛美しているそうです。
彼女はインタビューで「あなたは自分の体の障がいのことを悲しいと思ったことはありませんか」と尋ねられたとき、「少し不便だと思ったことはあります。でも悲しんだり落ち込んだりしたことは一度もありません。神様は何か目的があって私をこのように造られたのだと思います。ですから、その目的が何であったのか、これからが楽しみです」と答えたそうです。
彼女の澄んだ歌声と、その明るさと前向きなところが多くの人々を魅了し、感動を与えるのだと思いました。私たちもまた、ありのままを受け止め、主に信頼して日々を歩む彼女の信仰に倣うものでありたいと思います。
さて、この聖書箇所で2羽の雀が出てきます。雀は日本でも道端でよく見かける小鳥でしたが、私が子供の頃に比べると最近はあまり見かけなくなったように思います。小さな鳥である雀は、イエス様のおられたパレスチナのガリラヤ地方にも広く生息しているそうです。そして、イエス様の時代にはタンパク源としては最も安い、庶民にとって手に入りやすい食料の一つだったようです。
ルカによる福音書12章6節では「5羽の雀が2アサリオンで売られている」とあります。1アサリオンで2羽なら、2アサリオンでは4羽のはずですが、5羽というのは、1羽はおまけと言うことで、そのように安く叩き売りされてしまうような、安くて取るに足りないものなのです。けれど「その1羽さえ、神がお忘れになることはない」と、イエス様は言われます。
そうです。その1羽の雀さえ、父なる神様のお許しがなければ、地に落ちることはないのです。
神様は私たち一人ひとりを価値あるものとしてくださり、大切に思ってくださるお方です。そして私たちの命は神様のみ手の中にあるのです。
私たちは日々の生活の中でいろいろなことを思い悩みます。でも、イエス様は「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」(マタイ6・25)と言われます。そして、
「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6・32~34)と言ってくださいます。
私たちを価値あるものとして、取り扱ってくださり、私たちの必要を知っておられ、満たしてくださる主に、私たちの思い悩みをおゆだねして、信じてより頼み、従う一人ひとりでありたいと願います。
(東京東海道連隊女性部書記・少佐)
2015年5月3~5日
「救世軍女性指導者に学ぶ」の講師
張田和子中将にインタビュー
Q このセミナーで、救世軍の過去を学ぶという講演を担当していただき感謝です。女性指導者について学ぶということですが、「山室機恵子」を選んでくださった理由を教えてください。
A 山室機恵子が、創業時のこの時の働きのために、特別に神様に選ばれた女性だったと思ったからです。
実家の宗旨は曹洞宗で、儒教的な考え方の中に育ちます。また武士道精神に深く影響されていて、臨終の床から、「救世軍はキリスト教の決死隊であります。ただ武士道精神をもってしてのみ、よくブース大将の主義を日本に実現することができます」と語るほどでした。山室軍平と共に、創立当時の救世軍の働きに大きく寄与しました。
また、女学校で学ぶ機会が与えられたことにより、多くの人と出会い、明治時代に先駆的な視野を持つ人々の感化を受けました。新しい事を始めるための準備が、既に始められていることに驚きを覚えます。
Q 彼女の働きの素晴らしいところはどんなところでしょうか?
A 彼女は、この時代に珍しく、女性として表だったところで働く勇気もあり、また陰の働きに身を置くこともできる人でした。また、一度やりかけたことはあきらめないでやり通す人でした。
明治33年に娼妓が廃業できることになった時、婦人救済所の働きが始められましたが、収容される女性の更生のため主任として働いています。また明治38年には、東北凶作地子女救護運動として、寄宿舎を設け、主任として働いています。
一方、彼女は健康が十分ではなく、子どもも多かったので、ある時期には、前線から退き、隠れた奉仕をしています。その時には、婦人の士官や兵士と共に、婦人会の組織に力を注ぎ、「家庭団」の働きを組織することとなります。
最後に彼女が命を懸けて奔走したとも言えるのは、結核療養所設立のための募金活動です。千人の紳士名簿を作成し連日駆け回りましたが、はかばかしく進みませんでした。ここであきらめずに今度は婦人後援会を組織し、婦人層に訴え募金活動を続けるのです。身重の体で無理もたたったのか、四男出産後まもなく召天し、療養所の落成を見ることはありませんでした。
「幸福はただ十字架のかたわらにあります」と最後の言葉を残し、「イエスよ十字架のいさおにより」を病床に集まった人が歌ったそうです。「神第一」という三文字が絶筆でした。
Q セミナーでは「明日の救世軍を祈り考えましょう」というシートを使いますが、そこに「明日からの一歩、何をしたいと思いますか?」という質問があります。和子中将はどんなことが思い浮かびますか?
A 私は、今、特別しているという事はありませんが、毎日孫の世話をしています。祖母として寄り添い、触れあう中から、いつか神様の愛を感じてもらいたいと考えています。
(インタビュアー:軍国家庭団書記 インタビューは、4月、セミナー前に行いました)
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