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4月25日(土)午前にネパールを襲ったマグニュチュード7.8の地震は首都カトマンドに甚大な被害をもたらしました。救世軍万国本営緊急災害支援部のダマリス・フリックと、パキスタン駐在の救世軍士官キャロル・テルファー大佐とマクドナルド・チャンディ少佐は現在カトマンドに入り、ネパールの担当者ラルサングリアナ・ヴイテ少佐とラルヌンサンギ・ラルテ少佐と合流して活動に着手しました。
ラルヌンサンギ・ラルテ少佐は地震発生時の模様を万国本営広報部に次のように語りました。
地震発生時にどこで何をしていましたか?
ちょうど聖別会を守っていて、証言の時間に入るところでした。(ネパールでは土曜日が公休日なので、日曜日に行う礼拝を週の最初の日である土曜日に行っています。) ガタガタという大きな音がして地面全体が揺れました。戸外では人々が叫び、自分が信じるそれぞれの神々の名前を呼び求めていました。水道管や屋根の貯水タンクが壊れました。牛が鳴き、犬が吠え、カラスが飛び回っていました。家の揺れがひどくて、ドアの所に行くこともできないほどでした。しばらくして、なんとか外に出ることができました。
揺れが収まったあと、どうしましたか?
戻って礼拝を最後まで続けました。しかし、また外に走って出なければなりませんでした。家にひびが入り、中に入るのが危険なため、その日はずっと夜まで戸外で過ごしました。テントや覆いになるものは何もありませんでした。寒くて雨が降っていました。三日間、戸外で夜を過ごし、四日目にようやく家の中に戻りました。
棚にあるものや、いろんなもの、デスクトップのコンピューターやプロジェクターが落ちて、ドアをふさいでいました。余震が何度もありました。何度あったか数え切れないほどです。そのたびに家を出たり入ったりしました。家に入るのは危険でしたが、あまりに空腹で、食べ物を取り出すためにそうせざるを得ませんでした。
余震の間には、救世軍の人々のところに行ってお祈りをしました。とても怖がっていたからです。しかし、私たちが行くと、それで安心を感じたようでした。私たちはまさにそのために、その場所に置かれていたと思います。神は大いなる方です。
いま最も必要なのは何ですか?
最も深刻な問題は、テントが無いことです。どこにもないので、買うこともできません。
ネパールに何年滞在していますか? 救世軍はそこでどんな働きをしていますか?
私と夫のラルサングリアナ・ヴイテ少佐は2009年にネパールでの救世軍の働きを開拓しました。二人の娘、21歳のアメリアと18歳のレベッカも私たちと一緒に救世軍の仕事をしています。
現在ネパールでは救世軍の礼拝に約200人が集っています。地域開発支援センターを運営していて、地元の女性たちが縫製や手工芸を行っています。学童保育も行っており、誰も面倒を見てくれない子どもたちのために、勉強を教えたり宿題を手伝ったりしています。最近、成年弱者の女性のためのシスター・カフェを開設しました。
救世軍の建物には被害がありましたか?
シスター・カフェとその物品が大きな被害を受けました。11の家族がそれによって生計を立てており、とても大事な働きでした。支援を得て壊れた物品を回復できれば、またカフェが運営できるようになると思います。
救世軍万国本営ニュース配信 2015年4月30日
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