日本における救世軍の130年 130 YEARS OF THE SALVATION ARMY IN JAPAN 1895-2025

救世軍日本開戦130周年
慶応元年
慶応元年

イギリス・東ロンドンでウイリアム・ブースが活動を開始。
キリスト教伝道会(クリスチャン・ミッション)を創設する。

明治11年
明治11年

キリスト教伝道会を「救世軍」(The Salvation Army) に改称する。

明治28年
明治28年

エドワード・ライト大佐一行が横浜港に上陸。

京橋区新富町に最初の本営を設ける。

東京第一軍営(小隊)と士官養成所を東京・新橋に開設。

機関紙『ときのこえ』第1号を1,500部発行する。

明治29年
明治29年

山室軍平が中尉に任官され、士官養成所付に任命される。

東北地方に大津波が襲い、救世軍として最初の被災者支援活動を行う。

釈放者保護事業「救世軍第一社会事業部」を東京・小石川に開設。

船員宿泊施設「救世軍水夫館」を横浜居留地に開設。

最初の克己週間募金を行う。

明治30年
明治30年

山室軍平少校が『ときのこえ』編集主任となる。

明治32年
明治32年

山室軍平著『平民の福音』を発行する。

明治33年
明治33年

廃娼運動を開始する。

『ときのこえ』婦人救済号を吉原遊郭で頒布。数十人の暴徒に襲われ、5人の負傷者を出す。

「婦人救済所」を築地に開設し、山室機恵子が所長となる。

明治34年
明治34年

『救世軍歌集』を発行する。

明治35年
明治35年

『軍令及び軍律 兵士の巻』を発行する。

スラム街の貧困家庭を支援する「愛隣隊」を組織する。

明治36年
明治36年

大阪で開催された第5回内国勧業博覧会に「救世軍コーヒー店」を出店。

明治37年
明治37年

イギリス・ロンドンで開催された第3回万国大会に日本代表6名が参加。

明治38年
明治38年

ウイリアム・ブース大将の特使としてレイルトン中将が来日する。

明治39年
明治39年

労働寄宿舎と労働紹介部を開設する。

簡易食堂「禁酒一膳めし屋」と木賃宿「箱船屋」を東京に設置。

「慰問かご」を送る運動を開始。下谷、芝、四谷で1,000世帯に慰問かごを届ける(歳末たすけあい運動の始まり)

明治40年
明治40年

ウイリアム・ブース大将が来日。東京、前橋、宇都宮、仙台、横浜、名古屋、大阪、京都、岡崎、神戸、岡山で特別集会を開催。

山室軍平中佐が書記長官に任命される。

明治41年
明治41年

学生寄宿舎「大学殖民館」を東京・三崎町に開設。

免囚保護事業「労作館」を東京・赤城下町に設ける。

明治42年
明治42年

「集金鍋」(のちの社会鍋)による歳末の街頭募金を始める。

明治43年
明治43年

日糖疑獄事件の受刑者となった代議士・村松愛蔵が回心し、救世軍に入隊。

海軍軍人のための「軍人ホーム」を横須賀に開設。

明治44年
明治44年

兵庫・三の宮に「一寸待て」の自殺防止の看板を立てる。

「月島労働寄宿舎」を東京・月島に落成する。

明治45年・大正元年
明治45年・大正元年

財団法人在日本救世軍財団の設立が認可される。

「救世軍病院」を東京・御徒町に開設し、巡回診療を開始する。

ウイリアム・ブース大将が召天する。

大正2年
大正2年

救世軍大学殖民館からの出火で大火が発生し、山室軍平が「罪を天下に謝す」という一文を新聞各紙に掲載。

大正3年
大正3年

東北地方の凶作による人身売買を防止するため、救護活動を行う。

同志社神学校の校長だった金森通倫が救世軍に入隊する。

大正4年
大正4年

北海道・遠軽に「救世橋」を架橋する。

大阪に免囚保護事業を開設する。

「救世義勇団」(ボーイスカウト)を発団する。

大正5年
大正5年

山室機恵子が53歳で召天する。

結核療養所「ウイリアム・ブース記念杉並療養所」を東京・和田に開設。

大正6年
大正6年

救世軍病院で看護婦の養成を開始する。

大正7年
大正7年

米価の高騰で米騒動が起きる。救世軍が東京に9か所の米廉売所を設ける。

大正8年
大正8年

アメリカで在米日本人のための小隊をサンフランシスコ、ロサンゼルス、フレスノ、スタクトンに開設する。

大阪に少年保護事業を開設する。

大正9年
大正9年

日本救世軍開戦25周年大会を開催する。

大正10年
大正10年

救世軍在米日本人部がサンフランシスコに小隊、療養所、老人ホーム、婦人ホーム、育児院、寄宿舎を開設。

慈善鍋を社会鍋に改称する。

大正11年
大正11年

「家庭団」を深川小隊と亀戸小隊で発団する。

児童虐待防止部を設置する。

大正12年
大正12年

関東大震災により、東京・一ツ橋の本営が倒壊。救世軍病院、月島労働寄宿舎、本所殖民館と9つの小隊が焼失する。

東京市が5か所に設けたバラックに救世軍が「隣保館」を設置し、被災者支援を行う。

大正13年
大正13年

セッツルメント「民衆館」を横浜に開設。

大正14年
大正14年

浅草黒船町の「労働寄宿舎」を三河島に移転し「努力館」に改称する。

大正15年・昭和元年
大正15年・昭和元年

ブラムエル・ブース第二代大将が来日し、東京、仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山で特別集会を行う(写真はブラムエル・ブースと握手する渋沢栄一)

山室軍平が日本人として最初の司令官に任命される。

昭和2年
昭和2年

北丹大地震に際して、被災者支援活動を行う。

昭和3年
昭和3年

震災で倒壊した東京・一ツ橋の「救世軍本営」を神保町に移転し、鉄骨4階建として新築落成する。

渋谷神宮通りに「救世軍士官学校」を落成する。

サハリンに豊原小隊を開設する。

昭和4年
昭和4年

セッツルメント「救世軍社会殖民館」を東京・柳島に落成する。

震災で焼失した「救世軍病院」を東京・三筋町に新築落成する。

学生寄宿舎「村井奨学寮」を東京・市ヶ谷に開設する。

昭和5年
昭和5年

隅田川の千住大橋のたもとにダルマ船6隻を改装した簡易宿泊施設「ノア丸」を浮かべる。

台湾に基隆小隊を開設する。

昭和6年
昭和6年

救世軍参謀楽隊(のちのスタッフバンド)がNHK放送局からラジオ放送で演奏する。

山室軍平中将が東京・愛宕山のNHK放送局から「天にある父なる神」と題してラジオ放送を行う。

大阪にセッツルメント「愛隣館」を開設する。

昭和7年
昭和7年

無料宿泊所「更生館」を東京・北砂に開設する。

沖縄に那覇小隊を開設する。

昭和8年
昭和8年

三陸大津波に際して、被災者支援活動を行う。

児童養護施設「芥種寮」を東京・麻布に開設する。

昭和9年
昭和9年

労働訓練農場「救世軍農場」を東京・下丸子に開設する。

「西新井診療所」を東京・本木に開設する。

児童養護施設「機恵子寮」を東京・上池台に落成する。

昭和10年
昭和10年

児童養護施設「世光寮」を東京・松原に落成する。

労働訓練所「救世軍農場」の訓練生が満州開拓に出発する。

満州に新京小隊を開設する。

昭和11年
昭和11年

山室軍平の肖像銅板が同志社神学館に飾られる。

昭和12年
昭和12年

「救世軍報国茶屋」を中国の河北省に、続いて済南に設置する。

昭和13年
昭和13年

台北に「精華国語保育園」を開設する。

昭和14年
昭和14年

結核療養所「清瀬療養園」を東京・清瀬に開設する。

中国に「救世軍済南診療所」を設置する。

母子保護及び保育事業「地の塩寮」を東京・北砂町に開設する。

昭和15年
昭和15年

山室軍平中将が召天する。

東京憲兵隊が救世軍の幹部をスパイ容疑で連行。

『ときのこえ』を『日本救世新聞』に改題。

日本救世軍がイギリス・ロンドンの万国本営から離脱して「救世団」に改称する。

冬期無料宿泊所「箱船屋」を東京・柳原町に開設する。

「西新井病院」を東京・西新井に落成する。

昭和16年
昭和16年

日本基督教団が創立され、救世団は第11部として日本基督教団に合同。

東京・神保町の本営建物が大日本産業報国会に徴用される。

昭和17年
昭和17年

『日本救世新聞』を『朝のひかり』に改題する。

昭和18年
昭和18年

日本基督教団発行の六紙(朝のひかり、神の國新聞、世の光、福音の光、信仰の友、福音)が統合され、『朝のひかり』(旧ときのこえ) は廃刊となる。

救世団社会事業部が、日本基督教団傘下の「財団法人日本基督教愛隣会」となる。

昭和20年
昭和20年

太平洋戦争が終結。37教会(小隊)、愛隣会11施設が戦災で失われる。

児童養護施設「機恵子寮」が戦災孤児の保護を開始。

救世軍復興準備委員会の第1回会合を東京・月島の「自助館」で開催する。

昭和21年
昭和21年

救護施設「目黒厚生寮」を東京・目黒に設置し、焼け出された住民を保護する。

日本基督教団を離脱し、救世軍を再建する。

『ときのこえ』を復刊する。

昭和22年
昭和22年

婦人保護施設「新生寮」を東京に設置する。

婦人保護施設「朝光寮」を大阪に設置する。

昭和23年
昭和23年

「救世軍呉保育所」を広島・呉に設置する。

学生寄宿舎「女子学生寮」を東京に設置する。

「神田診療所」を東京・神保町の本営内に併設する。

福井大地震の発生に際して、慰問隊と医療班を派遣する。

昭和24年
昭和24年

天皇皇后両陛下が児童養護施設「世光寮」と「機恵子寮」を視察される。

昭和25年
昭和25年

社会鍋が街頭に復活する。

昭和26年
昭和26年

婦人保護施設「婦人寮」を東京に設置する。

昭和27年
昭和27年

オズボーン第6代大将が来日し、全国大会を開催。

昭和28年
昭和28年

無料給食を上野で開始。

昭和29年
昭和29年

無料宿泊所を大阪と札幌に開設する。

昭和30年
昭和30年

勤労女子寄宿舎「女子青年館」を東京・三筋町に開設する。

昭和31年
昭和31年

山室軍平召天16周年記念会で賀川豊彦が講演する。

昭和32年
昭和32年

児童養護施設「希望館」を大阪に落成する。

宗教法人救世軍の設立が認可される。

昭和33年
昭和33年

「救世軍城東保育園」を東京・北砂に開設する。

昭和34年
昭和34年

広島に旅客船を改装した無料宿泊所「ノア丸」を設置する。

昭和36年
昭和36年

学生寄宿舎「女子学生ホステル」を東京・和田に落成する。

救世軍神田中央会館で開催されたクリスマス集会が日本テレビで全国放映される。

昭和37年
昭和37年

勤労女性寄宿舎「エバンゼリン・ホール」を東京・市ヶ谷に開設する。

昭和38年
昭和38年

「救世軍士官学校」の新校舎を東京・和田に落成する。

昭和39年
昭和39年

新潟地震の発生に際し、被災者支援活動を行う。

昭和40年
昭和40年

北海道冷害に際し、遠軽、帯広で被災者支援活動を行う。

昭和41年
昭和41年

瀬川八十雄大佐が勲三等瑞宝章を受章する。

プレハブの無料宿泊所を東京・北砂に設置する。

昭和42年

日本武道館で開催されたビリー・グラハム国際大会に協賛する。

新潟県北部・下越地方集中豪雨に際し、被災者支援活動を行う。

昭和43年
昭和43年

救世軍杉並療養所を「ブース記念病院」に改称し、建物を改築する。

キャンプ場「救世軍カンファレンス・センター」を千葉・勝山町に開所する。

昭和44年
昭和44年

月島の自助館に「男子社会奉仕センター」を併設する。

九州豪雨に際し、被災者支援活動を行う。

山室軍平著『平民の福音』第500版を発行する。

昭和45年
昭和45年

万国博覧会のキリスト教館で救世軍音楽会を開催し、パレードを行う。

昭和46年
昭和46年

本営を東京・市ヶ谷の「エバンゼリン・ホール」の中に移転する。

昭和47年
昭和47年

社会福祉法人救世軍社会事業団の設立が認可される。

昭和48年
昭和48年

『山室軍平聖書注解全集 民衆の聖書』を教文館から発行する。

昭和49年
昭和49年

山室軍平生誕100年記念事業として「救世軍杉並小隊総合センター」を東京・和田に落成する。

昭和50年
昭和50年

救世軍日本開戦80年記念全国大会を開催する。

昭和51年
昭和51年

山形県酒田大火の発生に際し、被災者支援活動を行う。

昭和52年
昭和52年

救護施設「自省館」を東京・清瀬に設置する。

特別養護老人ホーム「恵泉ホーム」を東京・清瀬に開設する。

ベトナム難民を東京・和田の「岩佐寮」に受け入れる。

昭和53年
昭和53年

伝道用自動車「福音号」を用いた街頭伝道を開始する。

宮城県沖地震の発生に際し、被災者支援活動を行う。

昭和54年
昭和54年

救世軍ウエリントン・シタデル・バンドがニュージーランドより来日し、各地で演奏する。

学生寄宿舎「清泉学生寮」を福島・郡山に設置する。

昭和55年
昭和55年

カンボジアに救援医療チームを派遣する。

静岡駅前地下街ガス爆発事故に際し、被災者支援活動を行う。

後楽園球場で開催されたビリー・グラハム国際大会に協賛する。

昭和56年
昭和56年

ウイリアム・ブースの生涯を描いたゴワンズ&ラーソン作詞作曲のミュージカル「小羊の血」を東京・杉並公会堂で上演する。

大阪・アベノ地下街に救世軍カウンセリング・ルームを設置する。

昭和59年
昭和59年

「救世軍本営・山室軍平記念ホール・神田小隊」を東京・神保町に落成する。

昭和60年
昭和60年

救世軍杉並小隊総合センターに「救世軍資料館」を併設する。

ウエリントン・シタデル・バンドが再来日する。

昭和61年
昭和61年

山室軍平『平民の福音』の英語版を発行する。

昭和62年
昭和62年

「救世軍男子社会奉仕センター・バザー場」を東京・和田に落成する。

平成元年
平成元年

東京・清瀬の清瀬病院にホスピス病棟を併設する。

ニューヨーク・スタッフ・バンドがアメリカから来日し、各地で演奏する。

平成3年
平成3年

雲仙普賢岳噴火災害の発生に際し、被災者支援活動を行う。

平成5年
平成5年

北海道南西沖地震の発生に際し、奥尻島で被災者支援活動を行う。

平成6年
平成6年

日本救世軍開戦100年記念としてイスラエルへの聖地旅行を実施する

平成7年
平成7年

阪神淡路大震災の発生に際し、被災者支援活動を行う。

大阪・天満に「救世軍大阪セントラルホール」を落成する。

「ブース記念老人保健施設グレイス」を東京・和田に開設する。

日本救世軍開戦100年記念全国大会を青山学院講堂で開催し、インターナショナル・スタッフ・バンドが演奏する。

平成8年
平成8年

救世軍ジャパン・スタッフ・バンドが第6回日本吹奏楽アカデミー賞を受賞する

平成9年
平成9年

救世軍日本開戦100年記念事業として楽譜付『救世軍歌集』と写真集『心は神に 手は人に 救世軍日本開戦100年記念写真集』を出版する。

平成10年
平成10年

救世軍ジャパン・スタッフ・バンドがニュージーランドに招かれ、各地で演奏する。

平成14年
平成14年

ケアハウス「いずみ」を東京・清瀬の特別養護老人ホーム「恵泉ホーム」に併設する。

平成17年
平成17年

JICA草の根協力事業としてパプア・ニューギニアで飲料水供給・保健衛生教育・技能訓練のプロジェクトを開始する。

東京東海道連隊本部と江東小隊を併設した「救世軍錦糸町ビル」を東京・錦糸町に落成する。

平成19年
平成19年

新潟中越沖地震の発生に際し、慰問活動を行う。

平成23年
平成23年

東日本大震災の発生に際し、被災者支援活動を行うとともに、地域経済の復興を支援する各種の支援(漁具・漁船の提供、仮設商店街の建設の支援)を行う。➡支援活動のアーカイブ

平成25年
平成25年

特別養護老人ホーム「恵みの家」を東京・和田に開設する。

公益法人改革に伴い、財団法人在日本救世軍財団を解散する。

平成26年
平成26年

広島県大規模土砂災害の発生に際し、がれき撤去や資材の提供などの支援活動を行う。

平成27年

イギリス・ロンドンで開催された救世軍創立150年記念万国大会に日本から75人が出席する。

平成28年
平成28年

児童養護施設「愛光園」を広島・呉に新築落成し、児童家庭支援センター「明日葉」を構内に併設する。

救世軍チャリティ・コンサートを東京・初台のオペラシティ・コンサートホールで開催する。

熊本地震の発生に際し、被災者支援活動を行う。

平成29年
平成29年

救世軍ニューヨーク・スタッフ・バンドが来日し、東京と大阪で演奏する。

第2回救世軍チャリティ・コンサートを東京・初台のオペラシティ・コンサートホールで開催する。

平成30年
平成30年

「救世軍呉保育所」を広島・呉に新築落成する。

西日本豪雨災害、北海道胆振東部地震の発生に際し、被災者支援活動を行う。

令和元年
令和元年

「救世軍士官学校」の新校舎を東京・和田に落成。

救世軍ウエリントン・シタデル・バンドがニュージーランドから五度目の来日を果たし、各地で演奏する。➡WCB2019ツアーのアーカイブ

令和2年
令和2年

新型コロナウイルス感染症の世界的流行に伴い、小隊(教会)での対面の集会を休止し、オンラインでの集会に移行する。➡救世軍公式YouTubeチャンネル

BCP(事業継続計画)の一環として「杉並小隊アネックス」を東京・和田に設置する。

コミュニティ・センター「New Hope Azabu」を東京・元麻布に開設する。

令和3年

コロナ禍にあって、イースター・コンサートをオンラインで開催し、YouTubeでライブ配信する。

令和4年

コロナ禍にあって、ブライアン・ペドル第21代大将が来日し、大阪と東京で集会を行う。

令和6年

能登半島地震の発生に際し、炊き出し支援と輪島漆器救出プロジェクトを行う。➡支援活動のアーカイブ

里親支援センター「明日葉」を広島県からの委託事業として福山に設置する。

介護医療院「シャロン」を東京・清瀬に開設する。

令和7年
令和7年

リンドン・バッキンガム第22代大将を迎えて11月に全国大会を開催予定。

救世軍の歴史の詳細は『マーチング・オン! 救世軍 その起源と発展』『心は神に 手は人に 救世軍日本開戦100年記念写真集』
『神の国をめざして 日本救世軍の歴史』第1巻~第4巻(いずれも救世軍出版供給部刊)をご参照ください。➡救世軍の販売書籍