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山室軍平著『私の青年時代』を読む
平本 祐子
聖書箇所 マタイによる福音書22章34-40節
救世軍歌集 337番 われにしたがえ
去る二〇一八年十月に神田小隊は開戦百二十周年記念集会をおこない、同志社大学社会学部教授の木原活信先生から『山室軍平が今日に問いかけるもの』と題して講演をいただきました。講演の中で木原先生は、山室軍平の著作の中で『私の青年時代』がとても好きだと紹介されました。また、同志社在学中の山室は、泣き虫の変わり者と見られていた記録が多くあるそうです。山室軍平といえば、日本人初の救世軍士官、神田小隊にとっては初代小隊長ということで、あまりに大きな存在と感じがちですが、この機会に、『私の青年時代』を読み返してみました。いろいろなエピソードが記され、人間味あふれる山室青年の姿が浮かびあがってくる本です。
山室軍平は明治五年、岡山県の山間部にある本郷村に生まれました。九歳で少し離れた足守町に住む叔父の家に養子となり、質屋を営んでいた養家の手伝いをしながら学問に励みました。高等小学校を卒業した軍平は、東京か岡山に出て更に勉強したいとの願いがありましたが許されないとわかると、十五歳で無断で家を飛び出し、なんと、二度、家出しようとして失敗し、三度目には岡山のある旅館に一週間ほど隠れて追手をまいた(!)後に、小さい蒸気船に乗って神戸に出、神戸から汽船に乗って横浜へ着き、初めて汽車に乗って横浜から東京に入った、というのです。勉強をしたい、の一念で家出を決行した、無鉄砲とも思える十五歳の山室青年です。上京した軍平は、同郷の名士の計らいで、築地活版製造所の職工として働き始めました。この頃、ある夜、銭湯に行き、東京の大きな風呂が珍しくて、おもしろ半分、走りながら入って行ったら、たちまち板の間ですべって転んでしまった。その拍子に一本しかない手ぬぐいをなくしてしまい、しばらく難儀をした、と記されています。大きい風呂を見てわくわくしている、まだ少年の面影を感じさせる光景ではないでしょうか。
勉強がしたくて上京した彼は、仕事の合間を利用してはよく読書をし、英語の夜学会に通学し、いろいろな専門学校の講義録をとって政治、法律、経済などの勉強を始めました。しかし、アメリカ独立戦争で、さる勇将が負傷しながらも動ぜず、たばこをふかしながら戦いの指揮を続けた、という文章を読めば、「実に偉い、このような豪胆な人物になりたい」と思い、「わたくしもひとつ太いパイプを買ってきて、たばこをけいこしなければ」と試してみたところ、頭痛がひどかったが「これをしんぼうせねば、偉い人物になれないのであろうと、無理にがまんして」けいこを続けたとか、職工仲間との付き合いで「酒が飲めなくては一人前の男子になれない」と聞いては、「忙しいことではあるが、その方も修業したがよいのであろう」と、酒を飲んでみたけれど「胸の悪いことおびただしいのに驚いた」とか、様々な誘惑の中におかれていたことが記されています。今も昔も変わらない、青年の出会う体験ではないでしょうか。
そのようなタイミングで、彼はキリストの教えに出会ったのです。明治二十年、十五歳の秋、仕事の昼休みの短い時間に外に出ると、祝橋のたもとで数人の青年がキリスト教の路傍伝道をしていました。それを聞いてキリスト教に興味をもち、新約聖書を読むようになり、「目に見える世界、この世につく生活以外に、精神上の世界があるのだ、ということに心づいた。」そして一、二ヵ月、集会に出席し聖書を読むうちに、天の父がおられること、自分の罪のこと、またキリストの執り成しのことなどについて理解が深まり、「そこでわたくしは正直に自分の気のついたかぎりの罪を悔い改め、キリストとその十字架とを信じて罪のゆるしを求め、その救いを受けて、ともかくも及ぶかぎりまじめに、信仰の道を歩むこととなったのである」と、回心の様子が記されています。
「キリストの愛はわたくしを感激させた」と山室は書いています。仕事の同僚にもキリスト教の集会に出席するよう勧めますが、皆はそれにうんと言いません。「『終日はげしい労働をした上に、だれがわざわざあんな肩のこるような話など、聞きに出かける物好きがあるか』と、彼らは抗弁するのであった。そんなにキリスト教の話は肩がこるかしらんと、今一度出直して聞いてみると、あながち肩がこらないこともない。講壇のことばも、話も、また一切の態度も、大分一般民衆とかけ離れたところがあるように思われた。…」
この気づきを得て、彼は、十六歳の春、活字棚の間に突っ伏して祈ったのです。「神さま、わたくしは弱い、愚かな、足りない者であります。しかしながら今、身も霊魂も、すべてあなたに差し上げますから、どうか受け入れて潔きよめ、もしできることなら用いて、これらの職工、労働者、その他一般平民の救いのために働かせたまえ」と、どんな人でも、聞いてわかるように福音を伝え、読んでわかるように真理を書き記すことができるようにと祈りました。「神と平民とのため」にすべてを献げる、山室の生涯の土台となった祈りです。十六歳の青年の真っすぐな心に感動を覚えます。
その後、十七歳で入学した同志社時代についても、興味深い出来事が記されています。山室が救世軍に出会うのは、明治二十八年、二十三歳の時です。司令官ライト大佐に面会し、その時受け取った『軍令及び軍律、兵士の巻』を読むうちに救世軍に身を投じる決意をしたのでした。その年に士官候補生となり、翌年、日本人初の救世軍士官となりました。その後の活躍は書き尽くせません。
神様の導きの中に、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、そして「隣人を自分のように愛しなさい」とのイエス様の掟を守りとおし、実践した山室の生涯。『私の青年時代』にはその始まりが、生き生きと描かれています。救世軍本営の出版供給部で扱っています。ご一読をお勧めします。わたしたちも今の時代に、それぞれの場所で、神を愛し他者を愛する愛を、神様にいただいて歩みたいと思います。
(神田小隊長・大尉)
現代の奴隷制度について
「反人身取引ワークショップ」の学びより
(2018年9月30日~10月7日カンボジア.プノンペンにて)
ブレンダ・ラスコム
聖書箇所 マタイによる福音書25章35-40節
救世軍歌集 16番 心やさしければ
人身取引とか現代の奴隷制度という言葉をわたしが言ったとしたら、皆さんはどのようなことを思い浮かべますか。性産業で取り引きされる人々のことだ、と考えるかもしれませんが、それだけではないのです。
今日、現代の奴隷制度の犠牲者となっている男性、女性、子供たちの数は、四千三十万人と言われています。それは膨大な数で、わたしたちの想像を超えるものです.一人の人の名前を一秒間で言ったとして、この全部の名前を言うためには、十五ヵ月かかるほどのものなのです。しかし、神はわたしたちを心に留めていてくださると同じように、それらの人々を愛し、心にかけていてくださるのです。
現代の奴隷制度は次のようなものを含む多くの形態をとっています。
およそ二千四百九十万人の人が強制された労働をさせられ、千五百四十万人の人々が無理強いの結婚をさせられているのです。
自分はこのような現代の奴隷制度とは関係ない、と皆さんは考えるかもしれません。自分は買春などしないし、子供を雇って強制労働などさせてはいないから、と。
しかし、わたしたちが気づいていないところで、現代の奴隷制度がわたしたちにも影響を及ぼしていることを、調査の結果が示しています。
人身取引という点では、日本はそういう人々を送り出す国というよりも、受け入れる国となっているのです。日本国内で現代の奴隷制度に苦しめられている多くの人々は、就職できるという約束で日本に来ます。日本に着いてみると、仕事は約束されていたものとはかけ離れたものなのです。
日本で行われていることは次のようなことです。
日本で現代の奴隷制度に関連しそうな生産品の上位五位に入るのが、電気製品、衣料品、魚、ココア、木材です。
わたしたちに何ができるでしょうか。
万国本営は現代の奴隷制度に関して、いくつかの文書を発表しています。
世界に広がる現代の奴隷制度と人身取引に関する計画(二〇一八年四月十日に大将が承認)、二〇一八年現代の奴隷制度と人身取引に関する救世軍の万国的な立場表明(二〇一八年四月に大将が承認)等。
立場表明には、わたしたちが現代の奴隷制度に対しての戦いをするうえで、実際的にどうしたらよいかが書かれています。次のようなものが含まれています。
少し長いリストになってしまいました。わたしたちが心に留めるべきことが、少なくとも二つあると思います。
一つは消費者として情報を得ておくことです。安い物を買った時には、それを製造する過程で誰かが搾取されていることもあるのです。他の人々を搾取する人たちは、お金のためにそういうことをしているのです。
消費者としてのわたしたちが搾取している人たちの要求に応えないならば、その人たちが儲からないことになります。わたしたちが物を購入する時に、その物を作るために誰かが搾取されていないか、チェックする方法が幾つかあります。次のようなウェブサイトを見るとわかります。
心に留めるべきもう一つのことは祈りです。人身取引の犠牲者のための万国的な祈祷日はありますが、祈りの日をもっと多く持つことができるでしょう。毎月一度、現代の奴隷制度の被害者のために祈る時を持てないでしょうか。祈りの手助けになるものを、日本語と英語で作成しましたので、申し出てくだされば、お送りします。
マタイによる福音書二五章三五~四〇節で、イエスは羊と山羊について語っています。自分たちがイエスに食べさせ、着せ、訪ねたと言われるけれど、いつのことですか、と羊が尋ねると、イエスはこう答えられます。
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(40節)
イエスはわたしたちがおかれた場所でイエスの手となり、足となるようにと勧めておられるのです。わたしたち一人一人に果たすべき役割があるのです。現代の奴隷制度に対する戦いに皆さんもわたしと一緒に加わっていただけますか。
(伝道事業部長補佐・少佐)
※写真
フィリピンの救世軍では現代の奴隷制度と戦うための働きをしています。村々や学校を訪れて、安全に移住するにはどうしたらよいか、仕事を求めて他の都市や国へ移住する時に気をつけなければならないこと等を話してまわります。南太平洋及び東アジア地区にある救世軍では、このような働きを進めていますし、現代の奴隷制度の中を耐えてきた人々に寝泊まりする所を提供し、支援をしています。
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