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吉田 司
私の長女が七歳の時、石油ストーブに接触して、背中に火傷を負ったことがありました。長女はその夜、風呂から上がり、布団カバーに足を引っかけて、勢いよく転んで石油ストーブにぶつかったのです。そして、格子状の熱線に背中があたり、火傷。彼女は大声で泣きました! 私たちはすぐに応急処置をするとともに、神様に真剣にお祈りしました。
「主よ、今、娘を助けてください。どうぞ主が癒してください。」
その後、車で緊急の外科病院へ連れて行きました。幸いに長女の背中に火傷のあとは残りませんでした。私たち家族は神様に感謝のお祈りをしました。
さて、マタイによる福音書8章には、山上の説教を語り終えたイエス様を待っていた人たちのことが記されています。重い皮膚病を患っている人、中風で家に寝込んで苦しんでいる僕の癒しを切に願うローマの百人隊長、さらに、熱を出して寝込んでいるペトロ(イエス様の弟子)のしゅうとめです。この三人の人物が、イエス様の癒しを必要としていました。
ただここで、ペトロのしゅうとめ以外の二人は、共に大変な病気だったのに対して、しゅうとめの病状はそれほど重いように見えません。もちろん、本人は苦しくて大変だったでしょう。またペトロをはじめ家族たちも心配していたに違いありません。でもありふれた日常的な病気だったと思われます。そして、それぞれに癒されていくプロセスにおいても、ペトロのしゅうとめと他の二人はだいぶ違っていました。
重い皮膚病の人の場合、本人が死に物狂いで病の癒しを懇願しました。百人隊長の僕の病の癒しについては、上官である百人隊長が必死になってとりなしたのです。ところがペトロのしゅうとめに関しては、当の本人を含めて、誰かがイエス様に向かって、癒してほしいと求めたことがひと言も出てきません。
イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。
マタイによる福音書8章14、15節
このところで、とても大切だと思うことは、彼女や周りの人がイエス様にお願いする前に、イエス様ご自身が、熱を出して寝込んでいる彼女をご覧になって、その苦しみを知っていたということです。そして、イエス様のほうから進んでその病を癒してくださったのです。
ここで注目したいのは、神様のお働きは、何か特別な、劇的な仕方ではなくて、ごく日常生活のレベルでなされていることです。どなたでも風邪をひき、熱が出て喉が痛い時もあります。そうしたごく日常生活の出来事の中に、神様はあなたのことを心配し、働いてくださるのです。ごく普通の生活をしている私たち一人ひとりを「ご覧になって」くださるお方なのです。そして、私たちの手に触れてくださり、場合によっては病気を癒してくださるのです。
あなたの心の目が開かれ、神様のお取り扱いに気付くことができるように、お祈りいたします。
彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。
マタイによる福音書8章17節
(救世軍士官〔伝道者〕)
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