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西村和江
もし二月に「お花見の季節になりましたね!」と言うと、「まだ桜は咲いていませんよ」と言われそうですが、お花見の由来が奈良時代までさかのぼって、かつては梅の花見を楽しんでいたという説をご存知でしょうか? 空気の澄んだこの季節に、皆さんも甘酸っぱく香る梅の花見に出かけてはいかがでしょうか。
わたしの父方の故郷は、和歌山県のみなべ町という所で、日本一の梅の里として知られています。梅干しは欠かせない健康食として多くの人々に愛されていますが、青梅には毒があるという話は最近になって知りました。未熟な果実や種の中心部分に天然のシアン化合物が含まれているため、生で食べると体調を崩すということです。ところが完熟の梅を塩につけて、梅干しとして加工されると、免疫力向上、抗アレルギー、消化促進などの他にも様々な効果が期待される健康食品になるのですから、不思議です。「梅はその日の難のがれ」と言われるほど、古くから薬の代わりに食されてきたわけですが、そこには先人たちの知恵と歴史が刻まれていることを実感します。
物事の調子や具合を表したり、ほどよく物事に対応するという意味で使う「塩梅」という言葉があります。わたしたちの生活にもバランスや加減というものはとても重要であると思っていますが、聖書の中にもこのような教えがあります。
塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、
あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。
自分自身の内に塩を持ちなさい。
そして、互いに平和に過ごしなさい。
マルコによる福音書9章50節
塩は防腐と味付けの役割を果たしますが、「自分自身の内に塩を持つ」ということは、どのような時にも腐らず、しっかりと品位を保つという教えと言えるでしょう。また塩を持つことで、他者を腐らせず、周りの人にも良い感化とも言える風味を与え、それによって互いが平和に過ごすことを実現するということです。
ある人が、自分の周りで起きる理不尽なことにいつも不満をもっていました。自分は間違っていないのにすぐに責められ、間違っていると思う人が優遇されていると言うのです。ある時この人の不満が爆発し、ついに相手に対して暴言を吐いてしまったそうです。もし本当に理不尽なことがまかり通っていたのであれば、これは正されなければならないことです。けれども、その方法として相手を傷つける言葉を放ってしまったとしたら、それは正しいことではありません。
聖書では、
いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。
そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。
コロサイの信徒への手紙4章6節
と教えています。私たちの口から出る言葉がしょっぱ過ぎたら、とても対話にはなりません。何事も「いい塩梅」であることが人との間を平和に保つことにつながるのだと思っています。
気分が晴れない時もあることでしょう。高ぶる気持ちを抑えることが難しい瞬間もあると思います。そのような時にこそ、神様が聖書の言葉を通してあなたを守ってくださり、心も体も平和であることができますように。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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