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〝時〟を知ること、これは人間であることの特徴の一つであると言われています。確かに、大人になれば誰もが、〝きのう、きょう、あす〟という時の流れを認識することができます。しかし、流れ行く時に秘められている意味を知ることは容易ではありません。
戦国時代に生きた武将の一人である明智光秀は知性豊かな人でしたが、主君である織田信長に弓引き、本能寺の変を起こした人物として知られています。
「敵は本能寺にあり」と檄を飛ばしたことは有名ですが、兵を起こす前に催された連歌会で、その思いをこう詠んだと言われています。
ときは今
天が下しる
五月哉
〝時〟は〝土岐〟に通じており、「土岐家出身である光秀が、まさに今天下を支配する五月である」という意味がそこにあると言われていますが、今や決起の時が来たという思いを歌に託したのでしょう。しかし、光秀が思い描いた〝時〟は、三日天下の時となり、彼は悲運の武将として生涯を閉じたのでした。
聖書には
「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コヘレトの言葉3章1節)
と記されていますが、この「定められた時」とは、神が定められた時であり、この〝時〟を得ることこそ、人生が勝利に導かれる鍵となるのです。イエス・キリストはその生涯の中で
「わたしの時はまだ来ていません」
と度々言われました。神の〝定められた時〟をご自分の〝時〟として捕らえ、その時を目指して歩んでいかれたのです。十字架の死を予見されたイエスは、ゲツセマネの園で父なる神の御心を求めて祈られた後、弟子たちにこう言われました。
「時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。」(マルコによる福音書14章41〜42節)
「立て、行こう!」
ここには〝神の時〟を得て行動された堂々たるイエスの姿を見ることができるのです。イエスの言われた「わたしの時」とは、イエスが十字架で〝神の栄光を現される時〟を意味していましたが、十字架上で息を引き取られた後、三日目に復活されたイエスは、これを信じるすべての人に永遠の命を与えるという神の約束を確かに成就されたのです。
この十字架と復活の福音を宣教するために生涯を献ささげた伝道者パウロは、イエス・キリストによって人生が新たにされる喜びをこう表現しています。
「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(コリントの信徒への手紙二 6章2節)
パウロは、イエスの弟子となる前には、イエスを信じる者を激しく迫害した人でしたが、復活されたイエスに出会い回心した日は、彼にとっても、〝神の定めた恵みの時〟、救いの日であったことでしょう。
神はあなたの人生にも〝時〟を備えておられるのです。あなたの人生が失望から希望へ、悲しみから喜びへ、暗闇から光へ、死から命へ変えられていく〝あなたの時〟を。
流れ行く時の中に、神が備えられた〝かけがえのない時〟を見いだす人は幸いです。その人は、パウロをはじめイエスと出会った喜びを知る多くの人々と共に、こう言うことができるでしょう。
「今や、恵みの時、今こそ、救いの日!」
(救世軍士官〔伝道者〕・書記長官)
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