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新しい年を迎えると、お互いにそのように挨拶を交わします。しかし、「門松や、冥土の旅の一里塚 めでたくもあり、めでたくもなし」と詠んだ人がいました。その幼少期が「とんちの一休」として知られる一休禅師です。彼は、室町時代に活躍した臨済宗の僧侶でした。正月に立てる「めでたい門松」も、年を重ね、次第に死に近づく「一里塚」であると説いたと言われています。これは、不吉の予告というよりは、むしろ、年の初めであればこそ、死を思い、生を思うことを奨めたものと言えるでしょう。あなたは、あなたの人生に何を思って新年を迎えたでしょうか?
今年は羊年です。羊は牛や馬とは異なり、日本人には馴染じみのない動物ですが、聖書の中では、人間がどのような存在であり、どのように生きるべきかをよく示している動物なのです。
旧約聖書に登場するダビデ王は、その晩年、自分の人生を振り返って、こんな詩を作りました。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。」(詩編23編1〜3節)
彼は自らを羊と捉え、人生を導き、守ってくださった主なる神は、羊飼いであると告白しています。羊は、迷いやすく弱い動物で、猛獣に襲われたなら、なすすべもなくその命を失わざるを得ない存在です。勇猛果敢な武将であったダビデは、なぜ、弱い動物の代表的存在である羊に、自らを重ねたのでしょうか?
ダビデは少年時代、羊飼いをしていました。そのため、心の中できっと思っていたことでしょう、「私が、かつて育てていた羊たち。あれは私の姿だ。神の導きと守りがなければ決して生きることのできなかった私の姿がそこにある」と。
羊飼いから王にまで昇りつめた彼の人生は、まことに波乱万丈でした。栄華を極めた時があり、わが子であるアブサロムの反乱に遭い、戦わざるを得なかった失意の底に沈んだ時がありました。生涯を振り返り、それらの一つ一つが走馬灯のように心に映し出されたことでしょう。自分ひとりでは決して生き得なかった人生に注がれた神の恵みを思っていたに違いありません。
自らを羊であるとしたダビデは、羊であればこそ受け得る究極的な恵みについて、このように告白しています。
「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23編4節)
「死の陰の谷を行くとき」とは、すべての人が経験せざるを得ない「死の時」を象徴しています。生まれし者は必ず死す、これが自然界の法則です。しかし、暗黒とも思える死に対しても、「災いを恐れない」と告白できる恵みをダビデは得ていたのです。
ある人の言葉です。「人生の厳しい経験において、友人や愛する者たちは長い道を我々と共に歩いてくれる。しかし、天の牧者(羊飼い)のみが最後まで共に行くことができる。……死の陰の谷を通って行く時に、このことはとりわけ真実である。」
一人で生まれ、一人で死に行く人生。しかし、天の牧者たる神が共にいてくださり、永遠の命へと導いてくださる。だからこそ、死の陰の谷を行く時にも恐れることはないのです。
新約聖書にこのように記されています。
「神は、その独り子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)
あなたも、神の独り子イエス・キリストを信じることによって、この年の初めに「永遠の命に至る一里塚」を見いだすことができるのです。天の牧者である神の導きをお祈りいたします。
(救世軍士官〔伝道者〕・司令官)
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