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長く続けていた仕事を退いた時、わたしは、自分の立ち位置がどこにあるのか戸惑いました。例えば、電話をかける時「○○の○○です」と言える立場ではないことに気付き、働きを離れた現実を突きつけられた思いをしました。
昨年、テニスの錦織圭選手の活躍が話題となりました。全米オープンの男子シングルス準決勝で、世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ選手を破った試合では、二人の「立ち位置」の違いが勝敗を分けたと言われています。
ベースラインから2.5メートル下がっていたジョコビッチ選手に対して、錦織選手は、ほぼベースライン上であったそうです。これが動き回る距離の差になり、1ポイント取るために動いた距離は錦織選手の8.42メートルに対してジョコビッチ選手は、10.43メートルだったとのこと。ベースラインぎりぎりから素早く打ち返ってくるボールにジョコビッチ選手は戸惑い、消耗度も違っていたようです。錦織選手の「立ち位置」が、彼を勝利に導いたと評価されています。
わたしたちは、「立ち位置」などあまり気にしないで生活しています。「立ち位置」とは、「周囲の状況の中でその人が取る立場」、「ポジション」ということですが、「当人の意志」によってどのようにも変えることができるものでもあります。
あなたは、人生の「立ち位置」をどこに置いていますか。
主イエス様は、岩を土台にした家と砂を土台にした家を比べた譬えで「雨が降り、川があふれ、風が各々の家を襲った時、岩を土台とした家は倒れず、砂を土台とした家は倒れて、その倒れ方はひどかった」と話しました。「家」は、私たちの生き方を示し、自然の猛威は、人生の様々な経験を譬えています。
ここでイエス様は、私たちが人生の土台―寄って立つ「立ち位置」をどこに置くかと問うているのです。
人が立つべき、確かな「立ち位置」は、天地を創造された真の神様とイエス・キリストの十字架による罪の赦しと救いの上にあります。聖書は示しています。
「わたしたちも皆、……肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していた……者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし……てくださいました。」(エフェソの信徒への手紙2章3〜6節)
神様を避け、罪に陥り、滅びに向かう人間を憐れまれた神様は、独り子イエス様の十字架の死によって人間に救いの道を与えてくださいました。
イエス様を信じ、神様に「立ち位置」を置く時、次の歌のような心の安らぎを得ることができます。
主の十字架を仰ぎしとき
罪の重荷は去れり
主の十字架仰ぎしとき
神と和らぎたり(『救世軍歌集』)
聖書は続けています。
「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソの信徒への手紙3章16、17節)
「当人の意志」によって変えることのできる「立ち位置」を神様に置き、この祈りが、あなたのものとなりますよう、心から願っております。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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