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「トイレこっちだからね。いつでも遠慮しないで。」
もうずいぶん昔のことになりましたが、婚約式を終えて、初めて夫の実家を訪ねた時のことです。かしこまって座った私に、夫の父親がわざわざ立ってトイレに通じる引き戸を教えてくれました。ここは、あなたが遠慮なくトイレに行ける場所、これからはあなたの家ですよ、という意味の温かい言葉でした。
夫の実家は熊本です。久しぶりに帰った彼は、あっという間に熊本弁の世界の人になってしまいました。熊本弁初心者の私は、言葉の通じない世界に戸惑い、会話に加わることも、返事もろくにできずにいました。一人呆然とする私を、彼の家族は「おとなしい人」と好意的に受け止めてくれていたようです。
結婚後、帰省したり、子どもが生まれ、義母が手伝いに来てくれたりするたび、家族の中でリラックスする経験、親子の気兼ねなさと配慮を教えてもらいました。私が熊本弁を完全には理解できなくても、「わかっとらっさんね(わかっていないね)」と、笑顔で済ませてくれ、気を遣わせない配慮が心地良よい、幸せな場所を知ることができました。
最近、子どもたちの中に「外弁慶」という現象が見られるそうです。外で威勢良くても、家の中ではおとなしい子どものことです。「外弁慶」の子どもは、家では親の顔色をうかがい、おとなしく、いい子にしていなければならず、そのストレスから、学校や保育園、幼稚園で、大胆に我がままな行動をしてしまうそうです。家では全く問題がないので、外での手に負えない行動を親に相談しても、信じてもらえないことがあるというのです。
喜んだり、悲しんだり、困ったりしながら毎日新しいことを経験し、吸収しながら成長する子どもたち。誰もが、彼らを愛情いっぱいに受け止めることのできる家庭、親が子どもの健やかな成長を願い、子どもは親に感謝できる家庭を、と願うでしょう。しかし、現実には、仕事の忙しさ、代わり手のない育児のストレスなどで、親子も夫婦もお互いの話を聞くゆとりのない日常があります。疲れや不機嫌からくる緊張の糸が家中に張り巡らされ、いつ切れるかわからないような状態になっていないでしょうか。家族であっても条件付きの愛情だったり、厳しい現実の中で限界を感じたりと、家庭がホッとできる場所になっていないのです。親にも、子どもにもホッとできる場所、愛情を注がれ、受け入れてもらえる所が必要ではないでしょうか。
あなたには、ホッとできる場所がありますか? 聖書に、次のような神様の言葉があります。
「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し変わることなく慈しみを注ぐ。」(エレミヤ書31章3節)
教会は、この神様の愛によって存在する場所です。気を遣わせない、配慮ある、心地良い場所です。そして、神様の愛は、皆さんの心の中にもホッとできる場所をつくり出してくださいます。
皆さんも、神様の大きな愛によって、ホッとできる場所をもつことができますように。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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