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「初尽くし」と言えば、元旦は初日の出、二日は初荷に、書初め、初夢を挙げることができるでしょう。誰でも、年の初めには、新たな思いで一年を過ごしたいと願います。
また、初夢と言えば、「一富士、二鷹、三茄子」を思い起こす人もいるでしょう。この由来には諸説ありますが、晩年、静岡に居住した徳川家康が好んだものが、富士山、鷹、茄子であったことから生まれた、という説があるそうです。天下人であった家康が好んだものを夢で見ることは吉兆である、という思いが当時の人々にはあったのでしょう。
あなたは、今年、何を夢見ていますか? 「私には夢がある」と語った人がいました。非暴力主義の人種差別撤廃運動に生涯を献げたマーティン・ルーサー・キング牧師です。
「私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫と、かつての奴隷所有者の子孫が、兄弟愛のテーブルに仲良く座ることができるようになる、という夢が…… 。」このキング牧師の演説は、肌の色の違いの故に、いわれなき苦しみを強いられてきた人々の心を躍おどらせ、夢見ることを可能にした名演説でありました。
夢―それは古いものが過ぎ去り、新しいものが来ることを待ち望むことであるとも言えるでしょう。キリスト教初期の大伝道者パウロは、こう言っています。
「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙二 5章17節)
これは、パウロ自身が、自らの人生で体験したことでした。彼は、イエスを救い主として信じる人々を認めることができず、強硬に彼らを迫害していました。しかし、人生のある日、復活されたイエスの愛に捕らえられ、イエスを救い主と信じる愛の使徒として生まれ変わっていったのです。
かつて、救世軍のある小隊(教会)で、創立記念集会がおこなわれました。来賓の中に、厳格な顔立ちの近寄り難く思える牧師が出席されていました。しかし、その人は、愛餐会(食事会)の席上、こう切り出して、挨拶を始めたのです。
「エー、私が浅草で、まだ、よたって(不良じみた様子)おりました時に……。」
入信後、日が浅かった私は、牧師の厳格な顔立ちと、「よたっていた」という言葉があまりにもアンバランスに思え、その人を驚きの眼で見つめたのを、今でも、はっきりと覚えています。それは、イエス・キリストの救いによって、人は確かに、新しく生まれ、希望の人生を歩むことができるという発見でもありました。
イエス・キリストの愛に触れる時あなたも変わる! 人生が変わるのです! キリストを信じる時、神の子とされ、神の導きを受けて、困難・試練を乗り越えていくことができるでしょう。神は次のように約束されています。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ書29章11節)
皆様にとって今年が、この神の祝福を見いだす素晴らしい年となるように、心から祈ります。
(救世軍士官〔伝道者〕司令官)
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