2024年の予定
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4月の熊本地震を受けて、大阪・難波にあるデパート前で臨時の社会鍋をおこないました。わずか2時間程で、約20万円の献金をいただくことができました。
翌週、熊本県の益城中央小学校の体育館に避難されている方々にラーメンとチャーハンを提供しました。それまでの避難生活の食事は、朝はパン、昼はおにぎり、夜は弁当であったため、温かいものが食べたいという要望に応えたものでした。救世軍の所有するキャンティーンカー(調理設備を備えた車両)に食材を積んで出掛け、最終的に600食を配ることができました。「おいしかった」「ここでラーメンを食べられるとは思わなかった」などの声を聞き、ひとときの安らぎと温かいものを提供できたことを、参加者一同で喜び、感謝しました。
その支援は、東京から、大阪から、岡山から、広島から、「救世軍」の名のもとに集まった人々によって実現しました。
救世軍は、イギリス・ロンドンで、1865年7月2日から連夜開催された、牧師ウイリアム・ブースによるテントでの伝道集会を緒として、今日に至っています。そのロンドンで最も貧しく、虐げられた人々の住む地域での伝道によって、多くの人々が信仰へと導かれたのでした。
ところで、「救世軍」という名には、創立者たちの思いが込められています。1878年、当時、彼らは、「キリスト教伝道会」という名称で活動していました。その年報に、「伝道会は、全世界の隅々までキリストの血(十字架による救い)と聖霊の火(人をきよい存在へとつくり変える聖なる力)を携え行くため、救いの軍隊を組織した」(カッコ内編集者注)と記したことがきっかけとなり、次第に「救世軍」という名のもとに活動するようになったのでした。その戦いの目的は、貧しさの中で罪の誘惑に陥る人々の救いでした。現在、救世軍は、世界127の国と地域で活動しています。
ウイリアム・ブースは、1912年5月9日、ロンドンのロイヤル・アルバートホールで大会衆を前にこのように言いました。
「今日そうであるように、女性たちが泣く限り、私は戦う。今日そうであるように、幼い子どもたちが飢える限り、私は戦う。今日そうであるように、男たちが刑務所に出入りする限り、私は戦う。酔漢が残っている限り、街頭に哀れな失われた娘がいる限り、神の光を受けない一人の暗黒な魂でも残っている限り、私は戦う。私はまさに最期に至るまで戦う!」(『人類愛の使徒 ウイリアム・ブース』救世軍出版供給部刊 より)
この創立者の精神は、今日も変わることのない救世軍の使命です。
最近、一人の救世軍の信徒が天に召されました。救世軍では、信徒が亡くなることを「天に凱旋する」と表現します。彼は、黙々と自分に与えられた任務に励む方でした。入院わずか二カ月。その最期のお顔は平安そのものでした。彼は、救世軍の制服に身を包み、棺の上には救世軍の旗が掛けられ、ブラスバンドによる賛美の音の響く中、斎場へと見送られました。
大伝道者パウロは、世を去る時が近づいた、と悟り、
「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。」(テモテへの手紙二4章7、8節)
と語りました。パウロも、ひたすら信仰の戦いを全うし、確信をもって天に凱旋したのでした。
人は、置かれている場所や状況を問わず、罪の悔い改めと、イエス・キリストによる救いにあずかることによって天へ凱旋することができるのです。そう信じて、救世軍は、今も、救いのメッセージを携え、全世界で働きを進めています。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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