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著名な神学者カール・バルトのアメリカ・シカゴでの逸話です。彼の滞在は、牧師、神学者、学生はもとより報道関係者にも注目されました。あるインタビュアーが、彼に質問しました。
「バルト博士、あなたは今世紀最大の神学者と目されています。ご自身で大切にされている、最も深い神学的思想は何ですか?」
バルト博士は一瞬考えて答えました。「イエスは私を愛しています。聖書がそう教えているので、私はそのことを知っています」(賛美歌「主我を愛す」の英語詞)
カール・バルトは、ちょっと変わった方法で、クリスチャンの信仰の中心である、神が私たちを愛するゆえに、神の御子を世に送ってくださった、ということを示しました。また、聖書の基本的な目的は、イエスの内に神の愛が表されていることを示すことにある、と表現したのです。
イエスは、神の愛を数えきれないほどの方法で明らかにされ、すべての人々に対する神の無条件の愛を表されました。
イエスの時代、 「平等な権利」は想像しがたいものでした。女性は男性と同等の権利をもたず、軽んじられる存在でした。当時、女性のいるべき場所は家で、子どもを産み、育て、心地良い家庭を保つ責任がありました。また、男性は公共の場では女性に挨拶もしませんでした。女性はいつでも、父親や、夫、寡婦となったならば、親族関係にある男性の権威と保護の下にあったのです。
イエスは、こうした文化の規範に反するように、すべての女性に対して、愛と尊厳、敬意を示され、決して劣った存在と見なすことはありませんでした。
イエスと彼の弟子たちが葬列の一群に出合った時のことです。イエスは、息子を亡くしたばかりの寡婦に話しかけるため、その葬列を止められました。彼女は疲れ果てており、彼女を精神的にも、経済的にも支える人はいませんでした。けれどもイエスは、息子を生き返らせ、状況を変え、愛と配慮をこの孤独な貧しい女性に示されました(ルカによる福音書7章11~17節)。
またイエスは、他の人々の考えに縛られる方ではありませんでした。ある時、会堂で十八年もの間、腰が曲がり、伸ばすことのできなかった女性に、イエスは「病気は治った」(ルカによる福音書13章12節)と告げ、信仰の父である「アブラハムの娘」(同13 章16節)と彼女のことを表して、尊厳を示されました。イエスの大いなる愛は、病によって汚れた者と見なされていたその女性に触れることによって明らかにされました。
さらに、イエスは外国人であるサマリアの女性と会話をしています。威厳をもったユダヤの男性はこのような外国の女性と一緒にいることはしませんでしたし、会話をすることなどありませんでした。イエスはそのような文化的行動規範を無視し、話しかけ、彼女の価値を認められたのです(ヨハネによる福音書4章4~42節)。
イエスが彼女に話しかけられた時、その女性も驚いて言いました。 「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか。」(同4章9節)
聖書の福音書には、イエスが女性に示された無条件の豊かな愛の記事が他にも数多くあります。今、私たちはイエスが生きておられた時代とはすっかり変わった文化の中に生きていますが、今も孤独で、傷つき、助けを求めて声をあげている人々があらゆる場所に存在しているのです。
聖書が今日を生きる私たちに伝えたいことの中心は、「イエスは私を愛しています。聖書がそう教えているので、私はそのことを知っています」です。
あなたは、イエスの愛をご存じですか? イエスは尊厳、配慮と、思いやり、希望、癒しの力などを豊かにもってあなたを待っておられます。イエスは、あなたとも親しく関わりたい、と望んでおられるのです。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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