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人工妊娠中絶の話題は、多くの議論や論争、感情を呼び起こすことでしょう。そして、議論の中で多くの人が、 「それでは、命の始まりをいつの時点とするのですか?」や、「命はどのように始まるのですか?」という疑問を投げかけます。救世軍は、次のように考えています。
『救世軍は、すべての人が神の姿に似せて造られたこと、それゆえにすべての人には固有の、ユニークな価値があることを信じます。人の命は聖なるものであり、すべての人は、尊厳と敬意とをもって取り扱われるべきです。救世軍は、母の胎における懐妊によって、その人の人生が始まることを受け入れます。私たちは、社会が、他者に対する思いやりをもつ責任があると信じます。特に、胎児を含む弱者の福祉、安寧を図る責任があると信じます。』(救世軍見解表明「社会道徳に対する救世軍の立場『人工妊娠中絶』」より)
命はかけがえのないものです。命を与えてくださる神に敬意を表すように、命に対する敬意をもたなければなりません。聖書に一貫して明記されていることは、「神はすべてを知っておられる方」であるということです。神は一人ひとりを、そのそれぞれの命を、胎内に形づくられる前の命でさえもご存じなのです。
「あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。」(詩編139編13~16節)
救世軍は、妊娠において難しい決断をしなくてはならないような、非常に悲しい、苦悶する状況があることを理解しています。たとえば、妊娠が母体の命への深刻な影響がある場合、または胎児に深刻な異常があり、生存の可能性が低い、もしくは、暴力的状況下での妊娠の場合、これらの場合、妊娠中絶の正当性を認める可能性があります。
歴史的にみても、あらゆる地域・文化の中で人工妊娠中絶がなされてきました。そして近年、医学の進歩と社会的規範の変化により、人工妊娠中絶は多くの人にとって、より選びやすい選択肢として受け入れられています。
けれども人工妊娠中絶を一つの選択肢とする前には、慎重な検討が必要です。自分たちにとって都合の悪いタイミングだから、養育できそうにないから、または、受け入れがたい妊娠であるから等の理由で人工妊娠中絶を選ぶことは、一つの命を奪うことと同等であることを熟考すべきです。一度の 「都合の良い」選択が、生涯にわたる羞しゅう恥心と罪悪感、後悔をもたらすこともあるのです。
私たちの希望と信仰は、すべてのことを知っていてくださる神にあります。神は、まだ生まれていない人の、そのすべての命を知っておられます。
神はまた、人工妊娠中絶を選んだことの影響から生じる心身の痛みと苦しみ、後悔と羞恥心を知っていてくださいます。
たとえ、人工妊娠中絶が市民権を得たような時代にあっても、人工妊娠中絶を考える上で、そのすべての命の一つひとつが貴重であることを覚えるなら、人工妊娠中絶が、決して安易な方法ではないことを理解するでしょう。
神は、あなたと、まだ生まれていないすべての子ども―命―のための特別な計画と目的をもっておられるのです。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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