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ときのこえ
2020.06.10(水)

ときのこえ 2020年6月号

医療の働きのために祈ります 寺澤 眞由子

全世界の医療の現場に、近年見られなかった緊張と混乱がある今、救世軍では、すべての部門で新型コロナウイルス感染拡大防止策と、弱さの中にある人々への支援をおこなっています。そして、その取り組みが医療現場の負担を軽減し、一人でも多くの命が守られる助けとなるよう祈りつつ、この時を過ごしています。

日本の救世軍では、長年6月を医療の働きのために祈る月としています。6月は、日本で救世軍が医療の働きを始めた記念の月です。

1912(明治45)年6月30日、東京下谷区仲御徒町に救世軍病院が設立されました。遡ること5年前、英国から来日した救世軍の創立者ウイリアム・ブースは、日本で必要とされているのは、貧しい人々に対する医療だと見て取り、帰国後、救世軍病院設立のための資金を送りました。また、来日時のブースに接し、その考えに共鳴した著名人(大隈重信、清浦奎吾 、千家尊福、渋沢栄一、尾崎行雄等九名の有志)は、支援金を集めるための観劇会を開き、支援したのでした。

救世軍病院初代院長松田三弥は、開院早々午前と夜間の診療の合い間の訪問診療に取り組みました。様々な感染症に苦しむ貧しい地域の人々に医療の手を差し伸べる働きかけでした。この訪問診療は新しい働きとして医学界でも注目され、松田院長が講師をしていた東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)に学んだ三人の女医もその働きに就きました。

医師と看護師は、不衛生な、明かりもないような家々を訪ね、失明のおそれのあるトラホーム、赤痢 、肺炎、結核、腸チフス等、暗がりに伏せる患者を見つけては必要な医療につなげていきました。

この、最も貧しい人々への医療を自らの使命とした医師や看護師の多くは、イエス・キリストを信じるクリスチャンでした。

昨年、女性として日本で初めて医師免許を取得した荻野吟子の生涯を描いた映画『一粒の麦』(現代ぷろだくしょん)が、各地の映画館や施設で上映されました。

結婚によって性病に罹った吟子は、治療を通して女医の必要性を確信します。離縁後は、様々な妨害にも屈せず、男装して医学校での学びを全うしたのでした。映画では、その吟子を支えたものが、どんな人にも等しい愛を注ぐ神の存在だったことが描かれていました。

救世軍病院で松田院長の下にあった3人の女医の1人、岩佐倫医師は、やがて救世軍士官(伝道者)として生涯、救世軍医療の最前線に立ち続けました。後に救世軍の2つの結核療養所の所長も務めますが、清貧の生涯を送り、高価な革靴でなく、布製の靴に黒の靴墨を塗ったものを履いていた、という逸話も残っています。

聖書に、
「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、 『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、 『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った」(ルカによる福音書5章12、13節)とあるように、病によって隔離させられていた人の声を聞き、手を差し伸べ、癒されたイエス・キリストの心は、これまで多くの医療従事者を支えてきました。救い主イエスを信じ、その心を自分の心に宿すことによって。

病への不安の満ちるこの時、病める人々とそのために働く多くの人々を覚えて、祈りを重ねていきたいと願います。そして、新型コロナウイルス感染症の終息が一日も早く訪れますように、と切にお祈りいたします。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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