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ときのこえ
2020.11.11(水)

ときのこえ 2020年11月号

孤独な人々の声に耳を傾け続ける 藤藪 庸一

和歌山県白浜町にある観光名所・三段壁。ここには、眼前に広がる大海原を満喫するために来る人々と共に、その海を人生最後の景色にするために来る人々が立ちます。

ある六十五歳の男性は、三段壁で三日間、トイレの水だけを飲み、死ぬことだけを考えて断崖に座り続けました。けれども、死ぬ決心のつかないまま、とうとう一文無しになり、ただ途方に暮れていたのでした。

いっそこのまま野たれ死ぬのを待とう、と考えていた四日目の夜、目の前を数人の女性が通り過ぎ、何を思ったのか、その中の一人が彼のもとに戻って来ると二千円を手渡してこう言いました。
「馬鹿なこと、考えたらあかんよ。死んだらあかんよ。」

彼は、そのお金で食事をとり、元気を取り戻してから、わたしの教会の「いのちの電話」に電話をかけてきました。彼は保護され、わたしのもとで共同生活をしながら生活を立て直し、ホテルのナイトフロントの仕事も得ることができました。そして、仕事に励んだ七年後、脳梗塞で倒れましたが、療養生活の三年間も、白浜でできた友人たちとの交流を楽しめる生活を送ることができました。彼は、
「声を掛けてくれた女の子のおかげで今がある」、「生きてきて良かった」と何度も繰り返しては、わたしに言っていました。

その彼の最晩年、癌のために余命二週間と宣告された時、見舞うわたしに、彼はこう告げました。
「本当は、捨ててきた家族に赦ゆるしてもらいたい…。」

わたしは、
「家族に赦してもらうチャンスは得られなかったけれども、神様は赦してくれるよ」
と伝え、イエスが十字架で死なれたのは、あなたの罪を全部背負うためであったこと、それは、その死を通して、神の赦しを得させるためであったことを伝えました。

そして彼に、そのことを「信じますか」と聞くと、「信じる」と答えたので、病床で洗礼を授けたのでした。彼は、その数日後に天に召されました。

「誰もわたしのことなんて心配していない。」「生きていてもしかたがない。」「生きていてもいいことなんて一つもなかった。」
苦労ばかりの人生を経へ、がんばってもがんばっても希望が見えず、これ以上はがんばれない、と三段壁にやってくる人々の声にわたしは耳を傾け続けてきました。

聖書に、イエスが孤独な男・ザアカイに声をおかけになった記事があります。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 (ルカによる福音書19章5節)
そのザアカイに対する周りの人々の評価は「罪人」でした。また、イエスを家に迎え入れた時、ザアカイ自身も自ら仕事で不正をおこなっていたことを告白しています。イエスは、そのような彼を愛して、「家」が象徴するザアカイの心に入ろうとしてくださいました。

イエスは、罪を告白し、悔い改めたザアカイにこう言われました。
「今日、救いがこの家を訪れた。(略) 人※ の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
(同9、10節 ※人の子とは、イエス・キリストのこと)

イエスは今も、孤独と諦めの中で苦しむ人々を捜し出し、「あなたの心に入りたい」と願っておられます。あなたの心にも、です。

さらにイエスは今、あなたに、「孤独な心」に寄り添う人、その声に耳を傾け続け、苦しむ人々に「生きていてほしい」と伝える人になってほしい、と願っておられるのではないでしょうか。

(白浜バプテスト基督教会 牧師)

tokinokoe2020_11.pdf (520 ダウンロード )

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