2024年の予定
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山谷 真
「春の募金のお願いに参りました!」と、声も元気に一軒一軒お訪ねするのが救世軍のメンバーにとってのこの季節の大きな務めです。募金初日には寒さが残っていても中盤を過ぎるとふと空気が変わる瞬間があります。冬の空気が消えて春の空気になる瞬間です。
しかし、コロナ禍のために救世軍の募金は訪問から郵送でのお願いに切り替えさせていただくことになり、この状況がすでに三年目となっています。「募金のお願いに参りました!」とお訪ねして、皆様のお顔を拝見しお声を聞けることが、本当にかけがえのない、尊いことと感じさせられます。
コロナ禍の影響で救世軍の業務もほとんどメールのやりとりだけで済ませるようになりました。すると何か物足りなさを感じます。しかし、リアルに会うことが感染機会になってしまったらと想像すると気が引けます。自分が感染するだけならよいですが、もし対面した相手を感染させてしまったら、という可能性を恐れるのです。
そんな時、人類はさまざまな恐れで心を縛られていることを思わされます。コロナ禍では特に恐れを感じます。しかし、それに対して神様は「恐れるな!」とおっしゃってくださっていることもまた事実です。
「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。」(イザヤ書41章10節)
ところが、もし「恐れるな」という呼びかけが聖書に書いてあるというだけだったらどうでしょう? それはしょせん紙に書いた文字に過ぎない、と言う人がいるかもしれません。だからこそ「神が人となる」という奇跡が私たちの世界に起きる必要があったのかもしれません。
新約聖書は、神がベツレヘムの馬小屋の飼葉桶の藁の上に赤ん坊となって降り立った、それがイエスだ、と伝えています。この驚くべき奇跡をイエスの最愛の弟子であったヨハネは福音書にこう記しました。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネによる福音書1章14節)
神は紙の中だけの神ではありません。知られざる匿名の神でもありません。顔と声と身体を持つリアルな存在となってくださった神です。リアルな存在であれば当然、傷つき病み死ぬことがあるでしょう。人となられた神は、人類の身代わりに十字架につけられて死に、三日目に復活することによって、私たちに罪の赦しと永遠の命を与えてくださいました。そのことのゆえに、イエスを信じる者は、「恐れ」から解放されることができるのです。
イエス・キリストの復活を祝う今年のイースターは4月17日(日)です。キリストは復活されました。本当に復活されました。ですから、私は自分も復活し、あの人もこの人も復活すると信じています。その復活の日がやがて来たならば、私たちは顔と顔を合わせてリアルに対面することができるでしょう。その時、ひとりでも多くの人と、「恐れ」から解放された者として、再会の喜びを共にしたいと願うものです。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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