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西村和江
最近、ニュースの街頭インタビューで、「あなたは何歳から年金を受け取りたいですか?」と質問している様子を観ました。
ある人は「元気なうちにお金を使って楽しみたいので六十五歳から」と答え、別の人は、「病気などでお金が必要になった時に少しでも多くもらいたいので七十五歳まで引き上げる」と答えていました。
自分が何歳まで生きられるか分からないのに、それを選択するのは難しいものです。
聖書には、「あなた(神)は人を塵に返し 『人の子よ、帰れ』と仰せになります」(詩編90編3節)と記されており、私たち人間が必ず死んで塵となる存在であること、そこには「もう帰って来なさい。あなたはよくやった」と呼ばれる神の声があることを知ることができます。
しかし、神の呼びかけがいつ自分にかかるかを知ることはできません。どんなに若くて元気に見えても、ある日突然…ということは誰にでもありうることなのです。
救世軍では、二つの病院と、高齢者の介護施設、在宅介護に関わる事業所を運営しています。
昨今の医療、介護の現場では、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)または「人生会議」という言葉が盛んに言われるようになり、老後の生活や、人生の最終段階における医療について、患者様を主体に家族や医療介護関係者と話し合いをすることの大切さが叫ばれています。
患者様は自分で意思決定ができなかった時に備えて、どのような最期を迎えたいかを考え、意思表示するようにと促されるのです。
この話題に触れるとき、わたしはある患者様との会話をいつも思い出します。その方は、将来娘たちの迷惑にならないようにと、自分の老後を考え、ご自分なりに備えておられたそうです。
しかしある日突然、意識を失い、病室で目覚めたとき、想像もしていなかったようなたくさんの管につながれ、全く身動きができない体になっていました。それから数カ月経って救世軍の病院に転院され、チャプレンの訪問に対して、「こんなはずではなかったのに…」と涙を浮かべてお話しされたのです。
たとえ事前に意思表示をしていたとしても、そのとおりにできるとは限らない現実を見ます。究極的には私たちは自分で死ぬ時を選ぶことができず、また、どのように死ぬのかを選ぶこともできません。死の前に人はまったく無力な存在なのです。
「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」(詩編90編12節)と、この詩編の作者は祈り求めていますが、それには神の知恵が必要です。無力な自分を知り、誰かのお世話になることを受け入れることはどんなに忍耐が必要なことでしょうか。
ですから、このような私たちの魂を見守り、そのときには、「人の子よ、帰れ」と温かく迎えてくださる神の存在をどうか知っていただきたいのです。
神の御手にすべてをゆだねるとき、私たちは思いどおりにならない人生に落胆するのではなく、今の状況を受け止め、今日一日を感謝し、精一杯生きる人生へと導かれることでしょう。
(救世軍士官〔伝道者〕)
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