月島小隊沿革
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1895年 (明治28)
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救世軍が日本で活動を開始 |
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1911年 (明治44)
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月島での救世軍の働きの第一歩として、月島2号地に「労働寄宿舎」を開設。11月25日、開所式がおこなわれる。労働者のために、清潔で安価な宿泊料での寄宿舎と、職業紹介所を兼ねた働きをする。利用可能人員は100余名。主任は青木大尉。 (『ときのこえ』明治44年12月15日号掲載)
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1913年 (大正2) 5月7日 |
戦前の小隊の開戦式。指田中校が編集部と兼任し、潮崎曹長がこれを助ける。(『ときのこえ』大正2年5月15日号掲載)労働寄宿舎付属の会館で「月島小隊」として公に向けての集会が行われていたことが『ときのこえ』記事からわかる。 (大正2年11月15日号)
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1923年 (大正12) 9月1日 |
午前11時58分、関東大震災で建物が倒壊、焼失。ただちに焼け跡にバラックを建てて焼け出された人たちへの救済活動を開始。 |
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1924年 (大正13) 12月22日 |
東京府の委託を受け、月島仲通3丁目に移転。「救世軍労働寄宿舎」と再建、落成式を挙げた。敷地285坪、建坪210坪。 |
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1928年 (昭和3) |
「自助館」と改称。 |
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1932年 (昭和7) ごろ |
1932年10月15日号の『ときのこえ』の山室中将による「大東京と救世軍」と題する一文に、東京に分布する救世軍の小隊、社会事業所の一覧が挙げられており、「京橋区 京橋小隊・自助館・月島分隊」と記されている。
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1941年 (昭和16) |
「歳末には生活困窮者救済のために下賜金があり、自助館、努力間、箱舟屋の宿泊者と、婦人ホーム収容者のために用いられた。」 (『神の国をめざして』Ap.272) |
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1943年 (昭和18) 3月1日付 |
救世軍社会事業部は「日本基督教愛隣会」となる。そのための名称変更で「救世軍」を外さざるを得なかった事業部の群れのなかに、京橋区月島の「自助館」がある。 (『神の国をめざして』Ap.280) |
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1946年 (昭和21) 12月10日 |
救世軍復興準備委員会(日本救世軍の再建を考える委員会)が、空襲を免れた自助館を会場に始まる。(『神の国をめざして』Ap.310)同時期に、山田カイ少佐の働きと、京橋小隊長の協力のもと、京橋区役所の同意を得、鉄砲洲公園で「青空保育園」を開始。その後、自助館の一部を使用して月島保育園を開設。同園は1958(昭和33)年3月閉園(城東保育園に移転)。 |
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1955年 (昭和30) 6月 |
月島分隊として働きを開始。杉原定蔵分隊曹長任命される。 |
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1958年 (昭和33) 3月 |
月島保育園閉鎖。城東保育園の開園式があり、月島保育園から保育園職員や器具は転出した。 (1958年3月14日(金)『ときのこえ』) |
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1958年 (昭和33) 6月 |
京橋小隊分隊から、「月島小隊」となる。同年7月12日(土)開戦式、7月13日(日)記念聖別会。開戦小隊長 中川(黒木)登美中尉、副官 藤岡昭子少尉。 |
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1964年 (昭和39) 1月 |
冬季無料宿泊所の働きに用いられる。「月島自助館の裏庭を整地し、二階建の木造バラックに六十四畳の畳を敷き、自助館の食堂と炊事場を借りて開始した。毎晩各小隊、事業部、本営等より集会や給食のために有志が奉仕した。1月中の宿泊者は1,045人に達した。」 (『神の国をめざしてB1945〜1965』) |
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1969年 (昭和44) |
メンソーシャル・サービスセンター開設 |
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1974年 (昭和49) 6月15日 |
救世軍男子社会奉仕センター(自助館、月島小隊を含む)として鉄筋コンクリート3階建てのビルを三菱財団より助成金を受け新築。開館式をおこなう。センター主任 黒田勲中尉、月島小隊長 久保虎爾特務曹長。
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1997年 (平成9) |
男子社会奉仕センターの働きは杉並に移転。自助館、月島小隊の働きは継続される。 |
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2015年 (平成27) 1月 |
自助館の今後について三施設連絡会にて検討が始まる。同年6月、2016(平成28)年3月末をもって自助館の働きを終えることが決定される。 |
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2016年 (平成28) 3月 |
自助館の働きを105年の歴史と共に閉じる。最後の館長 生井富美子少佐。月島小隊新会館建築計画が決定される。 |
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2018年 (平成30) 3月31日 |
平成30年3月31日 月島小隊新会館起工式を挙行。同年12月15日、新会館落成式を挙行。小隊長 鈴木雅子少佐。 |
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